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「主へのきよい畏れ」

- 2001年4月29日 -

 水野明廣 師

ルカ12:8-9

イエス様は言われました「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます」(ルカ12:8〜9)。私たちは、毎日の生活の中で、いつでも、どこでも、誰の前でも、イエス様を主と認めているでしょうか。確かに、日本の社会風土の中では、決してたやすいことではありません。旗幟鮮明にすれば、周囲から蔑まれたり、のけ者にされたり、嫌われたりすることもあるでしょう。しかし、クリスチャンの歩みにおいては、いつも主を認めることは、この上なく大切なのです。

イエス様の名はインマヌエル、神は私たちとともにおられる、という意味です(マタイ1:23)。ダビデが「私はいつも、私の前に主を置いた。」(詩篇16:8)と歌っているように、主を認めるとは、自分の意志と信仰をもって、イエス様の御臨在をいつも意識すること、いつでも主に向くことです。イエス様は、私たちが御自分のほうを向くほど喜んで下さいます。「あなたがたはわたしの友です。」(ヨハネ15:14)とおっしゃって、友として、心を開いた親しい交わりを、イエス様のほうから望んでおられるのです。

「そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。」(ルカ12:4)イエス様が共におられるなら、ひとの言葉や、失敗、悪霊などを恐れる必要はありません。それよりも、主御自身への畏れを持たねばなりません。イエス様が「私とともに」「私の前に」おられる時、平気で罪を犯せるでしょうか。イエス様が悲しまれることは絶対にできないはずです。

聖霊様が臨まれて、超自然的な啓示の経験をさせて下さる時もあります。聖霊様は、代理ではなく、主御自身の霊だからです。「それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」(イザヤ11:2)主を畏れることを学んだ私たちには、主への賛美がわきあがります。せいいっぱい主を讃えましょう(詩篇22:23)。毎日の生活は自ずときよいものになっていきます(詩篇19:9)。そして主に信頼して歩むのです(詩篇115:11)。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)御子イエス様を認め、畏れる私たちには、神様の祝福が待っています。主は日々選ぶべき道を教えて下さいます(詩篇25:12)。御使いが陣を張って私たちを守ります(詩篇34:7)。私たちには乏しいことがありません(詩篇34:9)。そして「その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。」(詩篇25:13)と約束されています。「あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう。」(詩篇31:19)ハレルヤ!

「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は・・・見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。」(詩篇128:1・4)一人でも多くの方が、主を認め、主を畏れ、主と共に歩んで、祝福の現れを経験されますように。


愛して下さる主イエス様、あなたを慕います。いつでもどこでも、あなたを私の人生の主として、大胆に認めることができますように。もっとあなたに心を向けて、きよい畏れと信頼の中に毎日歩めますように。聖霊様助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 

2001/05/01更新

 

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