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聖日礼拝

- 2001年5月20日 -

 水野明廣 師

創世記29:31-35

ヤコブはずる賢く、お兄さんのもらう特権を押しのけて奪い取ってしまいました。しかし、ヤコブはお父さんやお母さんから「逃れていきなさい。出て行きなさい。ここにいては危ない。」と言われ、彼は出て行きました。
遥か遠く、今で言いますとイスラエルからイラクの地域まで逃げていきます。今まで家族といっしょに仲良く愛し合って楽しく過ごしていたのに、今日から一人で旅をしていくというそんな時代が彼にきました。

彼はお母さんの兄ラバンにお世話になります。彼は一生懸命に働きましたのでラバンは「何かほしい物があればあげるよ。」とヤコブに言いました。彼は「あなたの娘ラケルがほしい。」と答えました。彼はそのために7年間も働きました。が、ラバンは娘レアを彼のところにまず嫁がせました。彼はこんなはずではなかったのにと、ラバンに騙されてしまったのです。レアはいつも比べられ、のけ者にされ、あるいわ疎んじれ、ヤコブからも目を向けてもらえませんでした。そんな彼女をラバンはヤコブに強制的に送りました。レアは自分で選んだ訳でもありません。レアは嫌われているのです。「あなたなんかいない方がいい。」と生きていることが重々しく辛い仕打ちです。

皆さんの中で、なんで私は生きているのか、どうして私はこんな状況になっているのか・・・と思っている人がいるはずです。でも、神様はレアが嫌われているのをご覧になっているように、神様はあなたが不当に嫌われたり、蔑まされたりするのを、格別に目を注いで見つめておられることを忘れないで下さい。人は無視していても、主は決してそうではありません。あなたに主は注目しておられます。 そのために、神様はレアに赤ちゃんができる恵みをくださいました。彼女は思わずその児の名前をルベンと名づけました。主が私の願いをご覧になったという意味です。「今こそ夫は私を愛するであろう。」と私を見つめてほしいという願いでつけました。皆さんお隣の人で悩んでる人、嫌われている人、その人にあなたはやさしい眼差しで見つめてあげて下さい。冷たい目を向けないで下さい。目は口よりものを言います。

しかしながら、レアはまた嫌われ、疎んじられていきます。そこで神様は再び彼女に赤ちゃんを与えました。主はまた願いを聞いて下さったので赤ちゃんの名前をシメオンと名づけました。シメオンとは聞いての意。皆さん悩んでる人、嫌われている人でなければ聞いて上げて下さい。聞いて上げることで癒された救われた人もあります。夫は奥さんや子供の話を聴いてあげてください。レアは自分がこういうこともできるとヤコブに見つめてほしいし、聞いてほしいのに聞くこともしない、見つめることもしないそんな痛みをもっています。

そして再び3人目の子供ができた時に「こんどこそ夫は私に結びつくだろう」と「こんどこそ夫は私の心を理解してくれる人になるだろう」とそんな願いをもって、3人目の子供の名前をレビと名づけました。レビとは結ぶの意。彼女は夫と心が結ばれるように、愛され愛する関係の中で心が結ばれることを願って、レビと名づけました。しかし、彼女が満たされたかどうか分かりません。ここに3つの人間の根本的な必要が書かれています。

・やさしい眼差しで見つめられる必要。
・聞いてあげる耳を持つ必要。
・心が結ばれる必要。

しかし、どうやらレアはヤコブから満たされなかったようです。その悲しみの中で4人目が与えられたときに、4人目の子供の名前をユダと名づけました。ユダとは主を褒め称えるの意味です。今度は主を褒め称えようと「私はあなたを褒め称えます。」と。 今日、自分が嫌われている人、愛する愛される関係が壊れているそんな苦しみをもっている人は、このレアに学んで頂きたいのです。どんなことがあっても主よ、私はあなたを褒め称えますと。このレアが「主を、私はあなたを褒め称えます。」と言った為にユダがあり、ユダの部族があります。

今日、皆さんに「どうして愛している大事な人と心が結ばれないのか、どうしてその人は私に耳を傾けてくれないのか」と、もしそのように悼んでいる側にいるなら私は申し上げたい。レアのように「私の主、あなたを褒め称えます。」主は必ず祝福を現して下さいます。辛いとき、嫌われているときでも、主は特別に注目して下さいます。皆さんの状況がいっきに展開しなくても、どうぞ、主を褒め称えてください。主は驚くような奇跡を、皆さんにもたらさせて下さいます。

ハバクク書3:17〜19 いちじくの花はない、ぶどうの実はない、オリーブもない、食物もない、羊もない、牛もいない農夫にとって最悪な状態です。皆さんにおいて、経済的ピンチとか、精神的肉体的ピンチもあります。しかしどんな状況にあっても私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私たちは信仰から信仰へと歩んでいます。主は働いておられます。もっともっと主を誉め称えましょう。お祈りします。



「愛してくださるイエス様、私はいつでも何処でもあなたを認め、私の歌を、私の声をあなたに捧げます。あなたこそ、イエス様こそ私の砦、私の力、私のさけどころ、私の源です。私の心が、私の思いが、もっときよめられますようにきよい花嫁のようにイエス様の御霊によって飾られて主と共に生きたいのです。イエス様の御名によってお願いします。」 アーメン

 

2001/05/30更新

 

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