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1部聖日礼拝

- 2001年6月3日 -

 水野明廣 師

他人ではなく、自分にしかできないことに『悔い改め』があります。
そして、悔い改めにはそれに応じた行動が必要になります。ザアカイは悔い改めたあと、不正に取り立てた税金を倍にして返しました。ヤコブもすでに主の祝福を受けた者でした。しかし、何年も前に壊れた兄との関係を悔い改め、清算する必要がありました。そのため、ヤコブは祈りの格闘を行うことになったのです。主の祝福を逃さないためにも、清算しなければならない罪があったならば、神様の前で悔い改め、そして世における人間関係においても清算することが必要です。そうしないならば、神様の祝福を穴のあいた財布にいれるようなものです。

主は私たち人間を祝福したいと願っておられます。しかし、私たちの持っている罪が祝福を受け取ることができなくさせてしまっているのです。ヤコブが兄をだまし、長子の権利を奪ってしまったように。

私たちの罪はイエス様がすべて十字架の上で清算されました。それによって今私たちはイエス・キリストを主と告白する者は、すでに神の子としての祝福の中に入れられています。しかし、私たちが人をだましたり、苦しめた痛みに対して正しい処置がなされていなければ、神様が備えて下っている素晴らしい恵みも取り逃がすことになるのです。一方、神様は被害者や傷つけられた人々に対して、格別になぐさめと祝福をたまわる憐れみ深いお方です。

ヤコブはとうとう妻子までも先に行かせ、ただ1人残りました。それほどまでにエサウと再び顔を会わせることを恐れました。主は、心配、悩み、不安を御前に必死に祈るとき、その祈りを決してないがしろにされるお方ではありません。マタイ15章にあるように、カナン人の女は悪霊につかれた娘のいやしのために、イエス様に叫び求め続けました。主に戒められても、主が救い主、癒し主であることを信じきり、そしてその信仰のゆえにイエス様は娘をいやされました。神様はこのように『私を祝福してくださらなければあなたを離しません。』というほどにひたむきに主に呼び求める叫びを決して見捨てられません。

ヤコブはすでに祝福されていました。しかし、過去に犯した罪の清算のためにエサウに会う前に心から祈りました。それは絶対的な主の祝福の確信を得ることを願ったからでした。私たちも祝福の確信を得るために主に祈り、示された罪から悔い改め、この世における罪の清算をすることが必要です。そしてひたむきに主に祝福を願い求めつづけていく時、祝福の確信が満たされるでしょう。

 

2001/06/07更新

 

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