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祝福の確信を持った時には

- 2001年6月10日 -

 水野明廣 師

創世記33:3

ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏して
おじぎをした。

 ヤコブは、過去に兄エサウのものをだまし取ったということで、ずっと負い目を感じていました。兄と再会することになった時、過去の傷がよみがえってきてひどく恐れました。それで、しもべと贈り物を先に行かせ、自分は最後からついて行くような人でした。しかし、ヤコブが神に出会う体験をし、直接、神から祝福の言葉をいただいて、祝福の確信を持ったとき、恐れや心配は取りのぞかれて、自分が先頭に立って、兄エサウに会うために進んでいくようになりました。ヤコブは他の人に責任転換していた古い人から、自ら責任を持つ新しい人に変わりました。神のみ前にまず自分自身が悔い改め、他の人のせいにしないこと。祝福を確実にする原則がここにあります。

 イエス様は、「・・・自分から命を捨てるのです。」と言われ、ヨナは「・・・私のせいです、私を海に投げ込みなさい。」と嵐の中で船乗りたちに言いました。責任を持つことにおいて、自ら、先に立って進みましょう。

 また、ヤコブは20年間の労苦と神との出会いを通して砕かれ、謙遜な人に変わりました。自分が何者であるかをはっきり悟り、全てをご存知の主がともにおられることを確信して、本物の謙遜が身に付いたのです。兄に近づくまで7回も地に伏してお辞儀をし、自分のことを“あなたのしもべ”と言って、エサウに対してへりくだって尊敬を表しました。これに対してエサウは父が放蕩息子を迎えたように、彼のほうから走りよって、ヤコブを抱き口づけけしたのです。神はへりくだるものを高く上げてくださり、謙遜な者を祝福されます。

イエス様は御自分の時が来た時、弟子たちにその愛を残るところなく示され、ご自分から僕の姿を取られて、弟子の足を洗われました。日々の生活の中で聖霊様が私たちを内側から変えてくださって、へり下り仕える人になることを祈ります。

 私たちは神の栄光のために造られ、神の祝福を相続する者です。しかし、自分が何のために生きているのか、目的を見失い、方向を間違うと、神の子でありながら神の子らしく生きることができず無意味な人生を送ってしまいます。神のみ前で自分が何者なのか、何のために生きていくのかをはっきりと悟り、へりくだって自ら責任を取ることにおいて先頭にたちましょう。主はそのような人とともにおられ、困難な道を主ご自身が先立って進んでくださるのです。


 

2001/06/16更新

 

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