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宣教の祝福

- 2001年7月1日 -

 滝元 明 師

使徒1:8

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなた方は力をうけます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」

昨年6月に教会の開拓50周年をむかえました。同時に結婚も今年で50周年を迎えました。そのお祝いにどこに行ってもよいという旅行券をいただくことができました。そして、その旅行券でノルウェー・フィンランド・スウェーデンに行ってきました。

クリスチャン生活において。一番大きな祝福は神がともにいてくださること、聖霊が私たちの内にいてくださることです。ですから、私のこれまでの50年の間で一番素晴らしかったのは、聖霊さまがともにいて下さり、本日まで導いてくださったということです。

19歳で東京に上京し、イエス様に出会うきっかけになったのは、『君は牧師が似合いそうな顔をしている。』という友人の一言でした。このときにすぐに救われたわけではないのですが,毎日同じような生活を繰り返し、人生についてどんなにがんばっても、いつかは死を迎えるということを考えていく中で、何か命をかける仕事はないだろうか、と思うようになりました。そして、段々と友人の言った一言が自分の心の中で大きく聞こえるようになりました。
とうとう初めて教会を訪れる日がきました。目を見ると人の心が映し出されるといいます。そこで出会ったクリスチャンの、今まで感じたことのない目と表情の美しさに、自分の内の汚らわしさ、みじめさを覚えてショックを受けて帰った記憶があります。その美しさの理由がわかるまで教会に行こうと決めて、毎週訪れるようになりました。

それから私は『すなわちその名を信じて受け入れたもの、その人は神の子となる。』この御言葉が語られたときに信じるように導かれました。私の人生をかけるものはこれだ!と確信いたしました。ヨハネ3:16では『神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』とあります。ですからイエスキリストを信じた者はすでに永遠の命を与えられていると、知ったときは飛び上がらんばかりの喜びにあふれました。終わりのない命に、未来に希望を持つことができます。
しかし、こうともかいてあります。ヨハネ3:36「御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

私が一番初めに、このことで真剣に思いを向けたのは両親のことでした。信じなかったら滅びてしまう!愛する両親が滅びてしまったら、と思うとやるせない気持ちになりました。そして祈りに専念しました。この時に与えられた思いがあります。それはイエス様に対する愛、日本に対する愛、今の妻に対する愛でした。

また、聖霊様が望まれる時、価値観が全く変えられるという経験をしました。今まで何よりも1番目が自分、2番目が人、3番目が神様という順序でした。それが聖霊様が私自身にのぞんでくださり、1番目が神様、2番目が人、3番目が自分という順序に変えられました。

道には2種類あります。私たちが自分で決めている道と、神様がご計画されている道です。I コリント2:9に「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」とあります。
ですから、私たちが自分の歩む道を主の御手に委ねる時、自分で考えるよりはるかに良いものを、主がすでに用意してくださっています。

その人自身が本当に聖霊様にのぞまれ、変えられるならば、まず個人が祝され、次に家族が祝され、そして国家が祝されるようになるのです。


 

2001/07/06更新

 

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