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大きな祝福を受ける人(2)

- 2001年7月29日 -

 水野明廣 師

創世記39:1-20

ヨセフは祝福に生きるために召され、神様から特別な夢の啓示を頂いていました。しかし現実は、それとは全く異なる、苦しい試練の連続です。実の兄弟から妬まれ、奴隷として売られてしまったばかりか、連れて行かれたエジプトでも、とんでもない患難に遭います。これまでにも何度もメッセージで語ってきましたが、主がともにおられるなら問題は生じないとか、祝福の子孫は試練に会わないなどということは決してありません。むしろ大きな祝福を約束されている人ほど戦いも激しいことを、ヨセフの生涯が証明しています。

エジプトへ連れて行かれたという状況を、ヨセフはどうすることもできません。私たちも、むしろ意に添わない状況や環境の中にいることのほうが多い毎日ではないでしょうか。しかしここでどう応答するかが重要なポイントです。「主が彼のすることすべてを成功させてくださ」ったのですが、当然誘惑が多かったことでしょう。しかし「主がヨセフとともにおられたので」、彼は誠実を貫き、その結果「主人が彼に、その家と全財産とを管理させた」ほどの信頼を得ました。「貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる・・・不正な利得を憎む者は、長生きをする。」(箴言28:6、28:16)「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)不義と不正がはびこるこの世ですが、私たちも日々、誠実をもって不正に打ち勝ちましょう。また、ヨセフは一言も不平不満をつぶやいていないことにも注目して下さい。つぶやいていては私たちは約束の地へ到達しません(民数記14章)。だからパウロも「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」(ピリピ2:14)と奨めているのです。

イエス様は「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つため」に来られました(ヨハネ10:10)。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ない(ローマ3:23)ので、イエス様は「罪を取り除くため」にも現れて下さいました(1ヨハネ3:5)


罪は祝福を奪います。「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1〜2)「あなたがたの咎が、これを追い払い、あなたがたの罪が、この良い物を拒んだのだ。」(エレミヤ5:25)「盗んだり、殺したり、滅ぼしたりする」サタンは、このことをよく知っているから、何とかして私たちに罪を犯させようとします。ポティファルの妻は「毎日、ヨセフに言い寄った」とあります。「まつわりつく罪」(ヘブル12:1)の攻撃は執拗です。毎日休むことがありません。しかも「家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。それで彼女は・・・」というように隙を窺っています。罪とは断固戦わなければなりません。時には「戦って、血を流すまで抵抗」しなければならない時もあります(ヘブル12:4)。イエス様は「誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈り続けなさい。」と言われました(マルコ14:38)。油断せずに常に祈ること、そしてみことばをたくわえることが大切です。「あなたのみことばによって、私の歩みを確かにし、どんな罪にも私を支配させないでください。」(詩篇119:133)


では、誠実に生き、罪と戦っていれば、たちまち祝福を実感できるのでしょうか。残念ながら聖書はそう言っていません。ヨセフの上に主の約束が成就するのは、まだずっと後のことです。私たちクリスチャンが、神に従い、罪や不正と戦って正しいことを行えば行うほど、辛く苦しいところを通らされるのは避けられません。誤解・中傷・攻撃の渦中に巻き込まれ、不当な扱いを受けることもあるでしょう。「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。」(1ペテロ2:19〜21)「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(1ペテロ3:9)義のために痛み苦しみ、それでも祝福を与え、仕えることこそクリスチャンの生き方なのです。決して容易な道ではありません。だからこそ助け主聖霊様が、主が、ともにいて下さるのです。聖霊様の助けを切に祈り求めながら、栄光から栄光へ、祝福から祝福へと歩まれますように。


「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」主イエス様、私もヨセフのように罪と戦い、罪を断ち切ることができますように。あなたの約束である祝福を逃すことがありませんように。日々の戦いで勝利し、義のしもべとして、キリストの道を歩むために、聖霊様、特別に助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 

2001/07/31更新

 

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