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更に祝福に進むために

- 2001年8月5日 -

 水野明廣 師

創世記41:50-52

ヨセフは素晴らしい預言を与えられていましたが、その預言が成就するまでには様々なところを通されるという、長い時間が必要でした。愛する兄弟に裏切られ、奴隷として売られ、そして奴隷としても試練が待っていました。

 しかし主はいつもヨセフと共におられました。すべては主のご計画でした。不思議な御言葉があります。詩編105章19節「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。」
 またヨセフはすべてのことに対して主の前にへりくだり、柔和な霊を持って卑屈になることなく、対処していきました。その結果、彼は主人に認められました。「彼の主人は、主が彼と共におられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」創世記39章3節

 しかし、祝福が与えられた後には、必ずそれを盗もうとする者が現れます。ヨセフは祝福されましたが、彼の主人の妻が何度も何度も隙をうかがって執拗に彼にいいよりました。そしてとうとう、ヨセフは濡れ衣を着せられて監獄に入れられてしまいました。正しいことをしても苦しみに会うことがあります。
 神は愛する者を訓練します。愛するがゆえに試練に会わせられることもあります。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」へブル11章5〜6節 
 しかし、試練の中であってもそこから出た信仰の熱意、愛の献身、愛によってなされたことは、すべて神様の御前に覚えられています。

 ある牧師の奥さんは、幼いころ幼女に出されたため、ずっと自分の本当の両親の行方がわかりませんでした。どうしても会いたいので行方を調べ始めましたら、本当の父がまだ生きているということがわかりました。そして、昔、父がアフリカにおいて宣教師であり、今は全く神を捨ててしまったことも知らされました。
 彼女の父親が信仰を捨ててしまった理由はこうでした。彼は妻とアフリカ宣教に行き、熱心に宣教しました。救われたのは数名でしたが、信仰に燃えていました。しかしそこで最愛の妻を病で無くしてしまいました。信仰に燃えて宣教にきたはずなのに、主がなぜそのような残酷なことをなされたか、彼には理解できませんでした。生まれた子供をその地にいたアメリカ人夫婦に託し、彼は神を捨てました。「私はなんて無駄な生き方をしてしまったのだろう、」と。

彼女が父親に会う前に、父の周りの人々は神のことを語るのはやめておいたほうが良いとアドバイスしました。それは、少しでも神のことを語るならばあからさまにそのことを父は拒否するためでした。しかし娘は会うなり「神様の御名をほめたたえます。主は素晴らしいことをなされました」。といいました。父は非常に嫌な顔をしていいました。「神なんかいるものか。お前は大事な母親を亡くしたのになぜそのようなことがいえるのだ。」
しかし娘は語りました。「母親は確かになくなりました。しかしお父さんたちが救いに導いた人々のある人物は今、アフリカで3000人もの人々を救いに導きました。その人物は決してお父さんやお母さんがしたことを忘れていません。神様は多くの人を救いに導くために、まずお父さんたちをアフリカに遣わされたのです。そしてまた、私もこうしてお父さんに再び会うことができました。神様は素晴らしいことをなされました。」

彼女の父親は、始めて今まで自分がいたアフリカで起こったことを知らされました。「私は神を捨ててから、なんて無駄な人生を送ってしまったのだろう。」父は泣きながら悔い改め、再び神を受け入れることができました。

これはアフリカの宣教大会で実際に語られた本当の話です。このように、時としてどうして神様はこのような試練にあわせられるのだろうか、と思うようなことがあります。それは私たちの目からは決してわかりませんが、神様は素晴らしい祝福を後のために用意され、すべての労苦を忘れさせるほどに、私たちを実り多いものとされるためなのです。

主に感謝を捧げていきましょう。


 

2001/08/09更新

 

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