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更に祝福に進むために(1)

- 2001年8月19日 -

 水野 明廣 師

創世記39:21-23

ヨセフの生涯を見てくると、大きな祝福を約束されて、神様に用いられる人ほど、大きく厳しい患難を通されることがわかります。しかし、神の臨在の中に留まれば、どんなに大きな試練にも勝利できるのもまた事実です。
ここで私たちは、聖書の御言葉にある祝福の約束と、自分の現状とのギャップをどう埋めるか、特にどのように健全な対応をすべきか、を学んで参りましょう。

詩篇105:19には「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼(ヨセフ)をためした。」とあります。ヨセフのように、自分をとりまく環境がどうであれ、約束の成就を忍耐強く待つ必要があります。時にはギデオンのように「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。」(士師記6:13)と叫びたくなることもあるでしょう。しかし、「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(2歴代誌16:9)いつも心が主と一つになり、「主がともにおられる」との確信を持っている人を、主は喜ばれ、試練や困難の中に介入して下さるのです。
また、往々にして私たちは、試練の中でしか、自分の傲慢や高ぶりに気づきません。かつてヨブは極限の試練の後、神様に出会い、「しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」(ヨブ42:5〜6)と言いました。そしてその結果、失われたものが全て回復されたのです。また、モーセという人は「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数記12:3)ゆえに用いられた器でした。主の臨在は、心からの謙遜・へりくだりの中に現れます。
「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(イザヤ57:15)
「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)

神様は、私たちを愛しておられるからこそ試練を送られます。困難や挫折の中で、本当の自分の姿、欠点や弱さに気づかせ、成長してほしいからなのです。目の前の現実よりも、御言葉の真実に立って下さい。地上の姿、この世に縛られていてはいけません。「もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。」(コロサイ3:1)もちろん、辛いこと、苦しいこと、理不尽なことがあるでしょう。それでも「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」(ハバクク3:18)誰が何と言っても、また、状況がどうであれ、私たちは「御国を相続する者」(ヤコブ2:5)「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(1ペテロ2:9)圧倒的な勝利者(ローマ8:37)なのです。いつも心で信じ、口で告白して下さい。主にあって喜んで下さい。

そして、私たちは、聖霊様の力に頼って、自分だけでなく、隣人のためにも、言葉や態度で祝福を流していきましょう。とりなしの祈り、感謝や励ましの言葉、そしてヨセフのように従順に仕えていくのです。ほんのささいな事でも結構です。「それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。」皆さんの上にこの御言葉が成就して、主からの祝福が豊かに満ちあふれ、お一人お一人から祝福が流れて出ていきますように。


祝福の神、救い主イエス様、目の前の状況だけにとらわれるのでなく、あなたに目をとめて歩ませて下さい。いつもイエス様と心を一つに合わせて歩み、祝福の子孫、祝福を流す器となれるように、聖霊様特別に助けて下さい。私たちを極みまで愛して下さるイエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 

2001/08/20更新

 

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