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更に祝福に進むために(2)

- 2001年8月26日 -

 水野 明廣 師

創世記41:50-52

「 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。

私達が信じている救い主イエス様は、すべての罪を赦す為に、そして罪の呪いから私達を解放する為にきて下さいました。イエス様は私達の罪を赦したとおっしゃる時に、その罪を私達が思い出していても、イエス様は忘れて下さいます。私達の神様の素晴らしい点は、私達の罪を完璧に赦して忘れてしまわれるお方だということです。また、神様のもう一つの良い点は、私達の労苦をも忘れさせて下さることです。この二つのことを今日分かち合います。

第一に神様は、私達のすべての罪を赦して忘れてくださいます。悲しいことに教会の中には二種類の人がいます。一人はイエス様を信じて、まさに主の恵みがあったので困難の中でも恵まれ、聖書にも書かれているように、「誰でもキリストにあるならば新しく作られました。キリストによって古いものは過ぎ去り・・・」とあるように新しい命に生きて、まさに輝いている人です。そして過去にこんな辛いこと、過去にこんな酷いこと、過去にこんなに悲しいことがあったのに、どうしてあんなに喜んでおられるのだろうと、喜び満たされている人と、一方では過去に縛られ、過去の悲しい出来事、過去の辛いこと、過去の忌わしい、自分でも思い出したくないことを思い出し、それにいつも束縛されている人達です。

なんとかして助けて取り除いてあげたい気持ちです。イエス様は私達が新しい命に生きる為に、罪を赦して忘れて下さいます。私は「こんな罪を犯しました赦してください。」と告白するとき、イエス様は完全に赦して忘れておられます。どうぞこのことを忘れないで下さい。人間の祝福の一つは、神様からの祝福で満たされて忘れてしまいたい事を、忘れられることが祝福でもあるのです。ヨセフは神様が、私の労苦、苦しみを忘れさせた、神様がして下さったと言っています。始めから苦しみや悩みがなかった訳では無いのです。苦しんでいたのです。そんなヨセフに、もっと素晴らしい喜びがきたので、神様のすごい奇跡がおこり、夢の通りになったので、「主が私の労苦を忘れさせてくださった」と言っています。

ダビデも悲しみが無かったわけではありません。ダビデは詩篇142:6〜7 「私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。 私のたましいを、牢獄から連れ出し、私があなたの御名に感謝するようにしてください。正しい者たちが私の回りに集まることでしょう。あなたが私に良くしてくださるからです。」ダビデは主なる神様に、「私のたましいを、牢獄から連れ出して下さい。どうしてこんなに苦しまなければいけないのですか。」と訴えたことがありました。

皆さん、本当に苦しいときは苦しいのです。それでいいのです。辛いときは辛いのでいいのです。それでいいのです。でもクリスチャンの違いは主はその試練や労苦を通して、もっと高いレベルに・神の栄光に・神の誉れに・神の栄誉に用いて下さいます。

皆さん、クリスチャンの特徴は苦労や試練が無駄にならないことです。それが主にあって生かされることです。どんなときにも「主よ、私を解放して下さい。自由にして下さい。」と主に私達は素直に子供のように叫び求めましょう。見せかける必要も無いのです。神様が祝福と恵みを注いで、忘れさせて下さいます。もっとよいこと、もっとよい祝福、もっとよい恵み、もっと力強い神の御手の業を見せて下さいます。その条件の一つに「主よ、聖霊様、あなたがもっと私を解放して下さい。」と、ダビデのように叫ぶこと、もっと主にすがることです。主の方に向くことです。

皆さんの中で、過去の嫌なもの、悲しいことや辛い出来事やあなたを縛っていることがあるでしょう。この祈りを今日だけにしないで下さい。


愛してくださるイエス様、誰でもキリストにあるならば、罪の呪いや罪の刑罰では無く、神の祝福の子として、光の子として、そして王なる祭祀として、生きることができるように道を開いて下さり有難う御座います。聖霊様がその御言葉の約束を、この私に果たして下さい。ダビデのように叫びます。私の魂をあらゆる束縛から解放して下さい。自由にして下さい。聖霊様の自由が私をおさめますように、イエス様の御言葉通りに神様が私の労苦を忘れさせて下さったという言葉が、この身になりますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

 

2001/08/28更新

 

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