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更に祝福に進むために(4)

- 2001年9月9日 -

 水野 明廣 師

創世記41章52節

  恵みによって救われ、クリスチャンになったからといって、私たちの人生が祝福だけで、苦しみがなくなるということはありません。ヨセフの人生も奴隷として売られ、囚人として暮らすという大きな試練がありました。しかし彼は、その試練を通して、家族を救い、多くの実を結ぶことができたのです。このように私たちの会う試練は苦しみだけに終るものではありません。私たちの労苦は主にあって何一つ無駄になることはないのです(I コリント15:58)。どんな試練も人の知らないようなものはなく、必ず脱出の道があります(I コリント10:13)。神は神を愛する人々のために全ての苦しみを益と変えてくださるのです(ローマ8:28)。苦しみの中にあって、このことを信じ続けることは易しいことではないでしょう。戦いがあります。しかし、この信仰の戦いを勇敢に戦い抜くようにと御言葉は励ましています(I テモテ1:18)。そこには必ず大きな報いがあるからです。

 “苦しみ”と言う言葉は一言で簡単に神の摂理だと言って片付けられるものではありません。自分の愚かさや罪によって苦しみを招くことが多くあります。このような時には、自分自身が悔い改めて、罪を捨てなければなりません。また、サタンがもたらす苦しみもあります。この場合は、神の前にへりくだり、主に従い、そして悪魔に立ち向かいなさい(ヤコブ4:7)。“苦しみ”それ自体が問題なのではなく、私たちが苦しみに対してどう向き合うのかが大切です。苦しみに会った時はまず主の前に静まって自分の心を探ってみることです。苦しみを他人や環境のせいにばかりにしないで、自分の心を調べて見ましょう。心の思いが
変わるとき、その人の人生に革命が起こります。

 神は私たちをもっとご自身に引き寄せるために苦しみを用いられます。実際、人は苦しいときほど熱心に祈るようになります。苦しみの中で自分の弱さを思い知り、主に頼るしかない者だということを身をもって知るのです。ぶどうの木が剪定という痛みを通して多くの実をならせるように、私の心から悪いものがとり除かれ、整えられるためには痛みが伴います。神は私たちが成長していく過程で試練を通して私たちを調べ、銀を精錬するように私たちを練られます(詩篇66:10)。

 また大きな苦しみを体験した人は、人々を慰め励ますことができます。苦しみの中にあっても主に信頼し、仕えている姿は人々を本当に慰め励まします。イエス様はすべての苦しみを自ら体験されました(ヘブル4:15)。主は多くの苦しみによって従順を学ばれ(ヘブル5:8)、十字架の苦しみによって救われる多くの魂を思い、喜んでこれを忍ばれました(ヘブル12:2)。イエス様こそ私たちの身の避け所です(詩編118:8)。苦しみがあっても主に信頼し続けるなら、主は私たちを祝福の器として用いてくださいます。ますます主に心を向け、感謝し、賛美しましょう。主は苦しみを益と変えてくださる方です。


 

 

2001/09/05更新

 

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