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主に拠り頼む

- 2001年9月16日 -

 水野 明廣 師

箴言16:20

 9月11日に、ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易ビルに航空旅客機が突入、炎上倒壊して、数千人が死傷するという大事件が起こりました。今やアメリカ国内世論は武力行使による報復、「正義の鉄槌」一色です。しかし、去る9月3日には、ある著名なアメリカの預言者に、次のような預言が与えられていたのです。「注意せよ。ニューヨークよ聞け。この街がいかに狂っているかを示す時が来た。世界の市場を牛耳り、自分こそ世界の中心だと思っている街よ。悔い改めを何度も迫ったのにこれを無視した街よ。私は力強い手でこれを打ち砕く。ニューヨークよ、今こそ跪いて悔い改め、主の御顔を求めてへりくだれ。」

 まさに「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」(アモス3:7)「わたしは預言者たちに語り、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示そう。」(ホセア12:10)とある通りです。預言者は主が何を語られるかを見張り、書き記すのが務めです(ハバクク2:1〜2)。しかし黙示録2〜3章では7つの教会にいずれも「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」と言われているように、主は預言者だけでなく、私たちクリスチャン一人一人にも語りかけておられます。現代は損得で動き、移り気で、自分本位な霊に支配された時代です。そんな中で「悔い改めなさい。私、主に拠り頼みなさい。」と聖霊様は常に語っておられるのです。そして預言者だけでなく、私たちもまたとりなしていかねばなりません。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(1テモテ2:1)

 私たちにも、時に自分の資格・財力・才能・業績を頼みとする愚かさがあります。しかし聖書は「主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。」(エレミヤ17:5〜7)と、また特に箴言では「主に拠り頼む者は幸いである。」(16:20)と断言しています。旧約聖書でイスラエルの歴史を見ていけばわかるように、豊かになって神を忘れたイスラエルに、主は強敵ミデアン人、モアブ人、ペリシテ人を次々と送って攻撃させ、主に拠り頼むことを教えようと何度もなさっています。また、あの難攻不落と言われたエリコの城壁は一夜で崩れ去りました(ヨシュア記6章)。将来の計画を建てても、支配されるのはただ一人永遠なるお方、イエス様だけです。まことに「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」(詩篇127:1)のです。本当に幸いなのは主にこそ拠り頼み、すがる人なのです。

 私たちはパウロやペテロ、ベニー・ヒンやチョー・ヨンギといった、いわゆる「神の器」と言われる人物を特別視します。しかし、私たちも聖霊の宮(1コリント6:19)・神の家(ヘブル3:6)なのです。同じ聖霊様が宿っておられるのです。では違いは何でしょうか。一つは幼子のように率直に素直に主に頼り切ること、そしてもう一つ、枝として幹であるイエス様にしっかりつながっていることを信じ切って、通り良き管となることです。これは信仰生活の基本であり、そうすれば誰でも主に用いられるのです。

 「主に拠り頼む者は幸いである。」今日もう一度確認しましょう。聖霊様を歓迎し、いつも喜んで感謝と讃美を捧げ、主に栄光を帰す毎日でありますように。


主イエス様、もっとあなたに拠り頼むことができますように。あなたに拠りすがり、あなたに託して歩んでいけますように。御霊の導きに喜んで従い、あなたの御心を成し遂げる思いで満たして下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 

2001/09/18更新

 

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