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祝福に生きる人の学び A - 何もかもうまくいかない時

- 2001年10月14日 -

 水野 明廣 師

 

  何もかもうまくいかず、行き詰まってしまった時、私たちはどうしたらよいでしょう。現在、日本では多くの人々が苦しみの中で途方にくれ、どこに助けを求めたらよいかわからず、むなしさを感じ、生きる希望を失っています。
 困難の中で私たちは自分がどうしようもなく弱い人間だと思い知らされます。
 
  パウロはあらゆる迫害と苦しみの中で、「・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(II コリント12:10)と告白しています。私たちは絶望の中で、本当に主が良いお方で、弱い私たちを主にあって強く立たせて下さると知るのです。神は困難な問題を通して、私たちがただキリスト教という宗教をやっているにすぎないクリスチャンか、本当にキリストに頼り、キリスト中心の生き方をしているクリスチャンかを、本人に悟らせようとしておられるのです。
 絶望的な経験を通る中で、祈ることのできる恵みをいただき、主は絶対、御言葉どおり、私を見捨てられないと確信することができます。
 途方にくれる困難の中で、私たちのとるべき態度を、神の御子イエス様が人間として十字架という絶望の中で語られた御言葉から学びましょう。

1)イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と十字架の上で祈ってくださいました。困難な状況を他の人のせいにしたり、自分自身を責めたり、神様に腹を立てるのをやめて、イエス様の赦しを受け、他の人を赦すように私たちも祈りましょう。自分の心の本当の自由は赦しの中にあります。赦さないために問題に束縛されているのです。

2)「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)とイエス様のことを受け入れた罪人にイエス様が言われました。私は永遠の命を持っている、私はパラダイスにいる、という救いの確信を持っていることが大切です。しっかりと救いの確信を持っているなら、どんな問題の中でも希望を失うことはありません。

3)イエス様は極限の苦しみの中で、マリヤに「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」(ヨハネ19:26)と優しい言葉をかけられました。私たちもイエス様に習って、苦しみの中にあっても家族や周りの人々に思いやりをもち、優しい言葉をかけることができる人になりましょう。自分が痛んでいる時、家族も痛みをともにしているのだということを忘れてはいけません。

4)イエス様は「わたしは渇く。」(ヨハネ19:28)と言われました。私たちは主に向かって素直に痛みを訴えましょう。ダビデは"私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました。"(詩篇69:3)と神に訴えながら、"しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。"(詩篇69:13)と祈っています。また、"そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。"(詩篇69:20−21)と叫びながら"私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。"(詩篇69:30)と主を賛美しています。

 主はぶどうの木で、私たちは枝です。主は私たちを整えるために刈り込みをなさいます。刈り込みを受ける時、私たちは痛み、苦しみますが、それは私たちがもっと豊かに実を結ぶためです。幹である主につながっていなければ、何もすることはできません。主は私たちを見捨てられません。主に向き続けて絶望的な状況の中にあって、なおも主を私の避け所とし、主を賛美し続けていくなら、主はすべてのことを益として主の栄光となるようにしてくださいます。


 

 

2001/10/18更新

 

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