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愛がみつけた道

- 2001年12月23日 -

 水野 明廣 師

ヘブル10:14-20

 人を愛する時に、私達は純粋であればあるほど犠牲も厭わないで、その愛を示そうとします。母親が子供を愛しているときもそういうものです。聖書のアガペの愛はローマ5:8「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」という愛です。
 私達が神に敵対して神を無視していた。全世界と全宇宙を創りこれをつかさどり、私達の命の源であられ私達を愛しておられる神がその愛する神を知らない、愛する神を認めない、神なんかいるものか・・・という私達に神は愛を流し続け、愛を示して下さいました。ヨハネ3:16には 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」とあります。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さり、私達を愛して下さいました。そして、愛する為に主がなさった事は何か。それは神が人となってこの世界に神様の方から着て下さったのです。私達を救う為にきて下さったのです。だから私達は歌います。ルカ2:11「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」愛するから主が新しい道を開いて下さったのです。

 イエス・キリストが私の為に十字架に死なれた。私は罪人で醜い人間なのに、イエス様は十字架に罪の刑罰を、罪の呪を私達の身代わりに受けて下さいました。十字架は綺麗でもなく美しくもありません。イエス様の嘆き、苦しみ、その痛みは私の罪の為です。でも十字架は神の愛の象徴、私の愛するお方が私の為に死なれました。私が赦される為に私が罪の呪い、罪の刑罰を受けるべきであったのに、このお方が身代わりに受けて下さったのです。ですから、イエス様がこの私の為に救いの道を開いて下さり、滅びることがないように私の為に救いの道を開いて下さったのです。

 私はイエス様のおかげで、いつもヘブル4:16「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」・・・はばかることなく、私は大胆に神の御前に出ることができるのです。はばかることなくでることができるだけではなく、時期を得たタイミングがよい助けを得ることが出来るのです。主は私が犯した罪や過ちを絶対に思い出すこともしない。あなたの罪と不法を思い出すこともしません。これが神様の赦しの素晴らしい点です。人間は赦しますと言いますが思い出したりします。でもイエス・キリストの赦しはその過ち、罪、犯したことは思い出すこともしません。しかもイエス様は、私達と同じように悩み、苦しみ、試練に遭われたので、私達が主よ助けて下さいという時に、主はその声に敏感に応答して下さる方です。イエス様は私達が痛んでいるとき、私も痛んでいると信じている私達と共にいて下さるのです。
 あなたが主に心向くならば主は聞いてくださるだけでなく、あなたに主はこんなお方だと見せて下さいます。主はまさに生きておられる救い主です。イエス様は皆さんのすべての悩みや苦しみを、ひとの子として味わったのです。主はご存知です。主は今も永遠の愛をもって、私達を愛して下さっておられます。あなたから主が離れることもありません。私たちが主を忘れるた日は数え切れません。でも、主の哀れみと愛は一瞬たりとも私達から離れていません。私達はいつまでも幼いクルスチャンではいけません。私達がゾーエの神の命に生きることが出来るように。この命は私達の能力や体力が弱まっていると、よけいにゾーエの力がでるようです。天国の価値観で生きるようになります。御言葉で生きることができます。そうなれますように。


 イエス様、あなたは共にいて下さいます。共にいて下さるだけでなく、心の痛む人の痛みを共に痛み、共に苦しみ、主よあなたこそ救い主、私達を罪の呪い、その罪の刑罰、神の御怒り、その怒りに遭わないように救ってくださったお方。主は救い主、イエス様あなたは救い主、主はまた癒し主、主あなたは癒して下さるお方、主よあなたはともにいて下さるお方、あなたの臨在でその痛んでいるところを、あなた自身の御言葉と聖霊様の命で癒し、回復して下さい。一人一人の心の目が開かれ、主よあなたを信じるもの、夢を求めるもの、主が賜ったその賜物がどんなものか、召しがどんなものか知ることができますように、聖霊様助けて下さい。人間の能力や力で知るものではなく、御霊なる愛の主よ、聖霊様助けて下さい。信じるものに働く神様の優れた力がどんなに栄光に富んだ偉大なものかもっと知ることが出来ますようにあなたの勇気を持たせて下さい。
 主イエス様、「ダビデのようにわたしもいつもわたしの目の前に主をおきます。」と言えますように。ダビデも言い続けるうちに彼は言いました。主が私の右に居られると、主の前には喜びがあると、主の右には楽しみがあると、私達を目覚めさせてください。主にある力を、主にある力の喜びを、楽しみを、主の慈しみ深いことを味わうことが出来ますように、主の下さった神の命・永遠の命・豊かな命で生きることが出来ますように、イエス様の御名によってお願いします。アーメン

 

2001/12/26更新

 

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