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「主が先に行かれる」= 祝福の原則

- 2002年1月13日 -

 水野 明廣 師

ヨシュア記 3:5-6

ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。
(ヨシュア記 3:5-6)

 今まで荒野をさ迷っていた神の民がカナンという新しい地に入って行く時、主が民に命じられたことは
1) 契約の箱をかつぐ者が先頭に立って行きなさい
2) 身を聖めなさい
ということでした。
 契約の箱が先頭に行くということは、主が先立って行かれるということです。主が先に進み行かれ、その後に私たちがついていく人生は祝福されます。イエス様をおいて私たちが先に行ってはなりません。イエス様が主権者で、私たちの前を行かれるのです。
 また新しい地に入っていくには身を聖めなければなりません。聖くなるという本来の意味は主のものになるということです。私のためのイエス様という段階から、イエス様のための私という段階に進み、イエス様に喜ばれる者になることを求めましょう。私たちは聖くなるために召されました(I テサロニケ 4:3, 7)。私たちが聖くなれば主に用いられ、あらゆる良いわざに間に合うものとなります(II テモテ 2:21)。また、聖められると神を見ることができます。すなわちもっと神を知ることができます。

主が、さばきの霊と焼き尽くす霊によって、シオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めるとき、主は、シオンの山のすべての場所とその会合の上に、昼は雲、夜は煙と燃える火の輝きを創造される。それはすべての栄光の上に、おおいとなり、仮庵となり、昼は暑さを避ける陰となり、あらしと雨を防ぐ避け所と隠れ家になるからだ。
(イザヤ 4:46)

主の臨在は聖い者とともにあります。そしてそこには主の栄光の輝きが現れて来ます。主が私たちの羊飼いで、私たちは羊です。羊飼いが先に行き、羊が後ろについて行きます。主が先に行かれるなら、私たちは守られ、支えられ、神の栄光を見ることができます。
 聖くなることを追い求めましょう。主のものになりきりましょう。私たちのために死んでくださったイエス様の愛に夢中になって、主のためにすべてを捧げて主の後に従っていきましょう。


 

 2002/01/15更新

 

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