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幸せの祝福を相続する

- 2002年1月27日 -

 水野 明廣 師

出エジプト記21:5-6

1.私は・・・愛しています。 
2.自由の身となって去りたくありません。 
3.・・・耳をきりで刺し通さなければならない

  ピリピ2:6-11「 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」

  奴隷は主人から「あなたは時が来たから自由です。」と言われましたが、「私は私の主人と私の妻と私の子供達を愛しています。自由の身となって去りたくありません。」とはっきり言いました。奴隷であるこの人がなんと奴隷として居らせてください。愛するのであなたに仕えたいと言っています。実は、ここに神様の私達に対する願いが込められていると思います。

 ガラテヤ5:1「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」とあるように、私達はもう奴隷ではありません。ヨハネ8章には「あなたがたは真理を知る。真理はあなた方を自由にさせる。」とあり、あなた方は自由人だと言っています。でも、この自由を快楽のために使わないで、仕える為に、愛するために使ってほしいと願います。

  愛とか仕えるとか行いを含め、強制されては喜んでできるものではないはずです。また、まず、私達は愛しなさいと言って、それで愛せるのだったらそんな単純なものでもありません。しかし、この奴隷は主人と長い間付き合いをしている内に、そばにいたいと願うようになりました。この奴隷は主人があまりにもやさしくて、麗しいので、奴隷である立場を忘れさせるほどよいお方で愛に溢れている事に捕らえられました。それで、この奴隷がもう自由だと言われても自由がほしくないと思うほどになったのです。

  主が願っていらっしゃるのは、私達クリスチャンが誰も彼も、実は、「主よあなたを愛していますから、主よ、あなたと共に居らせて下さい」、言うほどに成長することではないでしょうか。もちろん、そういうことは、昨日今日起きることではありません。この奴隷は主人の下で長い間仕えているうちに、この主人はあまりにも素晴らしいと思うようになりました。皆さんもお気付きだと思います。神様は私達を呼ぶときに愛する子供達よとおっしゃって下さいます。イエス様は弟子達に、「今日まであなたがたを弟子と呼んでいたが今日から友達だよ。」と語りかけられました。イエス様は私たちを友達と呼んで下さいます。

  主ご自身があるとき私に、「人間はみんな何かにそれぞれ捕らえられている。仕えている、しもべとなっている、ある人はギャンブルや、麻薬中毒に捕らえられているとか。そういうように明らかに人から言われるよりも隠れた所で欲の奴隷であったり、恐れの奴隷であったり、ねたみの奴隷であったり、恨みの奴隷であったり、過去の何かの奴隷であったりしている。」多くの人々は自由であっても、実は自由でないことが現実にあるのです。酷い場合気が付かないで偏見の奴隷であったりします。ですから私達は神様のような思いはないけれども、そんなものは人間だから当り前と思って偏見の奴隷となって、そういう目で見て語る時、聖霊様が悲しんでおられるのです。
  聖霊様は私達の中で働いてもっと主の素晴らしい業を、もっと私達の命の流れを、イエス様の癒しと回復と救いを流したいのですが、私達が気が付かない内に他のものにけっこう捕らわれているのです。
  この奴隷は、少なくとも自分を奴隷と認めているから素晴らしいのです。私達が実は願わくば主の本当の奴隷となることが出来ますように。

  皆さん、どうしたら幸せで祝福された成功したクリスチャン生活を送れるのか、答は主が言われる言葉だけを我々が聞くことができる事になることです。ここで言いたいのはイエス様を本当に愛するから、主の下にいて、主に聞くものとなることを願っていらっしゃると言うことです。そこには実は私はクリスチャン生活の成功も祝福も全部入っていると思います。皆さん、いかがでしょうか。私達は案外主の御声でない声を聞いたり、主が言われないような言葉で動揺していませんか。人が言われたことも主は全部益とかえてくださいます。主の御声に触れるときに私は変えられるのです。


  愛して下さる主よ、十字架にまで私のために行かれたイエス様、神ご自信であるにもかかわらずご自分を虚しくされ、しもべ、奴隷の姿、捕らわれたイエス様、ご自分を無にされたイエス様、私のために十字架の苦しみを受けられたイエス様、私がイエス様の愛のゆえに、神の子と呼ばれ救われた者、御国の世継ぎと呼ばれています。これ以上、聖霊様が悲しまれるような思いや言葉が、私にあって留まることがないようにしてください。そんなことを言った場合、すぐに悔い改めることができるように助けて下さい。私の口の言葉、心の思いが主に喜ばれますように。
  御霊なる主よ、あなたにすがらないとクリスチャン生活はできません。助けて下さい。どんなときにも何処ででも聖霊様にすがって頼りますから助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン

 2002/01/30更新

 

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