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主が立ち上がられる@

- 2002年3月17日 -

 水野 明廣 師

詩篇1篇-3篇

  詩篇の1篇に「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」とあり,この前半部分は、英語の欽定訳(KJV)では''But his delight is in the law of the LORD; and in his law doth he meditate day and night.'' となっています。「口ずさむ」が''meditate''「黙想する」と訳されているのですが、原語のヘブル語の''hagah''には、ただ沈黙のうちに思いめぐらす、という他に、はっきり自分の口で言う、繰り返し口ずさむという意味があります。私たちは日々主のおことば、聖書のみことばを口ずさんでいるでしょうか。みことばを喜んで心にたくわえ、昼も夜も、どんな時にも口ずさむのは、クリスチャンにとって、とても大切なことです。生ける神のみことばには、豊かないのちがあり、幸せや勝利の鍵もあり、だからこそ「その人は、何をしても栄える。」のです。ヨシュア記にも「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(1:8)との、おことばがあります。

  みことばの大切さを述べた聖句をいくつか見ておきましょう。
・「主のみおしえは完全で、たましいを生き返せ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目明るくする。」(詩篇19:7〜8)
・「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」(詩篇119:11)
・「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(箴言16:20)
そして、新約聖書に極めて重要なみことばがあります。
・「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)
・「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)

 みことばは主御自身と言っても過言ではないのです。みことばを口ずさむ時、インマヌエル(主がともにおられる)が現実のものとなります。あなたの実生活の中で主の御名があがめられ、周囲の人々がイエス様に引き寄せられるのです。私たちは、よりいっそう、みことばに心を傾け、みことばを楽しみ、主にあって「幸いな人」となっていきましょう。

  詩篇3篇は、ダビデが自分の帝国を確立した後、実子アブシャロムに王権を奪われ、国を追放された時に詠んだ詩篇です。ダビデは、一言命じれば、屈強な勇士たちの武力でこれを鎮圧できたでしょうが、「もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない。』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」と言い、自分から退いて、泣きながら逃げるほうを選んだのです(2サムエル15:26)。その途中、シムイという男に石を投げつけられ、侮辱・罵倒されますが、「行って、あの首をはねさせてください。」と言う家来に対して「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。・・・「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」と言って報復を許しませんでした(2サムエル16:9〜12)。
  ダビデはこの時、一切剣を使わず使わせず、「主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。」と言って、声をあげて、主に呼ばわったのです。ダビデだけではありません。ネヘミヤがすわって泣き、心の底から天の神に祈らなかったら、アルタシャスタ王はエルサレムの再建を許したでしょうか(ネヘミヤ1〜2章)。スロ・フェニキヤの女がイエス様の前に叫んで身を投げ出さなかったら、その娘は救われたでしょうか(マルコ7:25〜30)。バルテマイが人々にたしなめられるのもかまわずに叫び立てなかったら、彼の目は開いたでしょうか(マルコ10:46〜52)。私たちの信仰生活は、ラオデキヤの教会のように生ぬるくあってはなりません(黙示録3:15〜16)。私たちも日々の困難・問題・試練の中で、時には大声で主に呼ばわって叫ぶことも必要なのです。主は、真実な叫び声に、決して耳を閉ざされるお方ではありません。

  主のみことばをもっと心にたくわえ、暗唱し、口ずさみましょう。様々な人生の課題の中で主に呼ばわりましょう。主は良いお方です。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)あなたの日々の歩みの中で必ず、主が立ち上がって下さいます。


  ことばが人となって私たちの中に住まわれたイエス様、あなたのみことばがいつも私の思いと口に溢れていますように。みことばをもっと自分のものにできるように聖霊様助けて下さい。真実なお方であられる主よ、あなたに叫び呼ばわります。「主よ、立ち上がって下さい。」イエス様のお名前でお願いします。アーメン。

 2002/03/19更新

 

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