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哀れみの信仰

- 2002年3月24日 -

 デール・ウォーカー 師

 

 ミカ書6:8「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」

  主がここで、哀れみを持つ心が大事だと言われています。ただ哀れみをかける言葉以上に、哀れみを持つ心がとっても大切だと言える人を求められておられます。友達とか人に対して哀れみの心しかないというそんな人です。

  哀れみという言葉は、惜しみなく与え、支えて、仕えるやさしさ・ほどこしさを言います。ルカ6:35 「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」あなたがたも哀れみ深い人になりなさいと書いてあります。神様は不義を行うものに対してさえすら優しいお方でいらっしゃいます。神様は正しいものにもそうでないものにも雨を降らせてくださいます。

  哀れみ深い人は、神様の姿を繁栄させる人です。 I ヨハネ4「愛のうちに留まる人こそ神様のうちに留まる人」と言っています。第2次世界大戦の後、ある一人のアメリカの兵隊がヨーロッパでたくさんの孤児が出てしまったのを見て、とうとう彼は帰国しないで孤児のために自分の生涯を捧げるということをしました。
  ちょうどこの兵隊がジープに乗っているとき5歳ぐらいの男の子がドーナツショップのショーウィンドの前で立っているのに目が入ったそうです。男の子はいかにもお腹を空かした様子でそこに立っていました。この兵隊はお店に入っていって数ダースのドーナツを買ってきて子供にそれを配ったのです。ドーナツを手にした男の子は、ジープに乗ろうとした兵隊さんの後を追いかけて、兵隊さんの袖を掴んで叫んだ。「あなたが神様」と尋ねたということです。
  皆さん。哀れみをかけているあなたの姿は、まさに神様の姿を現している瞬間なのです。

  II コリント9:11 「あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。」皆さんを通して、今日皆さんが捧げて下さったものを、子供達が何らかのかたちで貰ったとたん「神様を褒め称えます。」といいますよ。イエス様もあなた方のよい行いを通して、父なる神様が褒め称えられるようにと願っているとおっしゃいました。私は貧しい人を助ける姿はまさに礼拝の姿だと思います。マタイ9 イエス様は捧げ物をする時、神は犠牲を求めておられるのではなく、哀れみの心をを求めておられると言っています。神様がほしいと願っておられる断食とは、イザヤ書58:6-7 「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。」神様のほしい礼拝とはそれは神様の正義を行うことではないか。飢えている人にあなたの食べ物をあげることではないか、住まいのない人に住まいをあげることではないか。裸で着る物がない人に着るものを差し上げることではないでしょうか。マタイ25:40「 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」

  皆さんが貧しい子供達に手をさしのべることは、イエス様にした行為そのものとなります。哀れみをかけている時に聖霊様は著しく人々に働くことができます。マタイ5:16「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、」神様はあなたがたを褒め称えるとおっしゃっておられます。

  皆さん、哀れみ深い人だけが赦しを人々に贈ることができます。世の中で一番大きな問題は罪です。でも、一番大きな最高の効果ある解決が赦しです。私は哀れみ深い人は赦しを注ぐ人だと思いました。ルカ6:35-38「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」哀れみを神様が大事にされるのは哀れみこそ人間関係を癒して下さるからです。夫と妻の関係で夫に失敗があり、妻に失敗があるときにそのような関係を癒すのも哀れみの心です。哀れみの心を持つならばそのような中から起こる傷も汚点も洗い清められます。また、哀れみ深い人であるならば教会の中にある一人一人の傷を癒し洗い流すことができます。哀れみだけが赦さないというその毒素を放す力から私達を解放します。

  皆さん、私達はどのようにしたら哀れみの器になれるでしょう。聖書に哀れみの器という言葉があります。どうか、あなたがまず痛みを隠さないで分かち合える人になってください。哀れみとは誰かと分かち合うという意味です。神様は天から地に下られたのは痛み悲しみを自ら知るためでした。時には哀れみの道は痛いのです。神様は私達の心を砕いてしまわれるそんな道を通らされます。皆さん、今日も救い主を知らないで一人孤独で生きて居られる人がいます。どうぞ、皆さんが哀れみのうつわになって下さい。最高の贈り物は皆さんの赦しを差し上げて下さい。身近な人から上げましょう。哀れみを差し上げないとあなたが受けられないのです。キリストが赦されたように赦しが出来ますように。


 

 2002/03/26更新

 

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