トップページへ神の家族キリスト教会

 

主よ、立ち上がってください

- 2002年4月28日 -

 水野 明廣 師

詩篇6:6-9 

詩篇6:6「私は私の嘆きで疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ、私のふしどを押し流します。
    6:7  私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。
    6:8  不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。
    6:9  主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。」 

  この祈りをしたダビデはこの言葉の中に書いてありますように追われていました。敵がいたのです。彼は自分が命がけで救った王様から憎まれ、王様が送った兵隊によって彼は命を狙われとんでもない事態に置かれます。ダビデは神の心に叶った人と言われていますが、神を信じる人であるのにも関らず、こんな苦しい経験をします。クリスチャンになってこれで良かった、問題が無くなったと思った人は今日のお話で問題が来ると思ってください。問題があるということを知っていてください。クリスチャンになって「とんでもない問題にさらされた。」と言われる方は正しい起動にのっています。ダビデはまさに味方からも狙われ、敵からも狙われ、更に病に伏してしまうのです。絶対絶命の中に置かれます。

  私達の人生の中でどうして神様こんなことになるのですかと、神様に言っても神様から答がこない、返事もこないような、そんな試練や悲しみを通らされることもあるのです。神様どうなっているのですかと言うと、神様はこうなっているよと言ってくれれば、少しは楽になるかもしれませんが答がないのです。ですから、ダビデは神様から嫌われている、私は神様の前で憎まれているという思いが入っていきました。というのは、人間は誰しも神様の前では、罪の無い完璧な人間はいないのです。ダビデはもう泣くしかありませんでした。泣けて泣けて嘆きで疲れ果ててしまったのです。彼はその苦しみの中で自分の心をありのままに神様に言っています。
  ただ今日申し上げたいことは、ダビデが私達はクリスチャンとして苦しんだり、悩んだりこんな状態に陥ることがあるかもしれませんが、たった一つの決定的な違いは、それでも神様にどうしてこのような苦しい状態になるのでしょうか、とそのような祈りを神様に彼が向けている点です。

  時々、私達は神様の前でそんなこと言ってはいけないと言葉を失ってしまうときがあります。でも、ダビデはここで、「神様あなたは御怒りで私を責めて懲らしめて、私はあなたによってこんな状態になっています。」と神様に思いをぶつけています。そして、彼は苦しみの中で祈り続けている内に言った言葉が「詩篇6:8 不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ。」
  皆さん、まさに彼の祈りは神様に聞かれていると、彼は泣きつづけて言葉を失っている時、神は聞いておられる、この天と地を創った神様は私を見捨てていない、イエス様は私たちを決して見捨てないと言っています。彼は私の涙が覚えられていると。
  主は不思議なことに、涙や苦しみを私達が味わうように、イエス様も同じように味わいご存知なのです。涙しか出ないダビデに神様は涙みてるよと。ダビデはその時、確信が来ました。救いが来ると。
  皆さん、私達の人生の中でどうしてこんなふうになるのだろうかと思うことがあります。主は皆さんの涙を見ておられます。皆さんの涙を主は決して見過ごして無視しておられません。皆さんがどうしてこんな人生になったのだろうと、主に心を注ぎ出して涙ながらに訴えるとき主は動きます。主は聞いて下さいます。神は個人個人の問題に深くい関心を持っておられます。皆さん、個人の願い、日本のこと、世界のことも、心から切に祈るとき主は働いてくださいます。大切なことは心から切に祈ることです。

  涙の祈りとは誰も責めないのです。主よ、どうぞこの私達の罪を赦してください。もし、私達が涙を持ってとりなしの祈りをし続けるならば、主は必ず立ち上がられます。全ての肉よ、静まれ。そんな願いです。兄弟姉妹、どうぞあなたの涙は決して無駄では無いので祈り続けて下さい。祈りを辞めないで下さい。もっと激しく、熱く、私達の家族の為にも、職場の為にも、日本の為にもとりなしで祈りたいと思います。お金が無い、経験が無い、資格が無い、チャンスが無い、私はこんなものが無い、あんな人がいない、しかし、皆さん一番ないのは、涙の祈りです。全能の神の御手が動きます。

  主よ、私達は個人的な課題も持っています。願い持っています。ある人は病気の苦しみ、ある人は様々な痛みを持っています。主よ、お願いします。あなたは祈りを聞かれるお方です。自分の家庭や自分の人間関係、教育が崩れています。祈りはあなたの御力、全能の御力を動かすものです。どうぞ、私達が祈りのお香をたきつづけることが出来ますように、祈りの祭壇を守り続けることが出来ますように、喜んで主につかうべき人となれますように導いて下さい。


  愛して下さるイエス様、マリヤとマルタがラザロを失って泣きました。泣いているあの女性達をみて、イエス様も泣かれました。その後にイエス様が栄光を見せてくださいました。有難う御座います。主の栄光は主に心を向ける者に必ず現わされます。祈り続けることが出来ますように、諦めないで主に祈ることが出来ますように、とりなしの祈りが出来ますように、聖霊様が祈り手として私を遣ってください。イエス様の御名によってお願いします。アーメン

 2002/05/01更新

 

先頭へ

戻る