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正しい生き方の大切さ

- 2002年5月5日 -

 水野 明廣 師

詩編7:8-9

  ダビデは詩編7:8で「主よ。私の義と、私にある誠実とに従って、私を弁護してください。」と主に祈っています。「正しく生きること」は神の子、クリスチャンとしての生き方ですが、主の前にある義と誠実な歩み、そしてその報いとはどういうものなのでしょうか。

  主の救いや癒し、解放は主の賜物です。イエス・キリストの十字架の血の代価によって罪から贖いとられたクリスチャンが主から求められている生き方は、正しさや義、誠実さによって生きることです。聖書の新共同訳では「正しい人」を「主に従う人」と訳しています。主に従う生き方とは、御言葉に従って生きることです。聖書では義と誠実な歩みについてこのように書いてあります。詩編15「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行い、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れるものを尊ぶ。損になっても、立てた誓いは変えない。金を貸しても利息をとらず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。このように行う人は、決してゆるがされない。」また、詩編37:21「正しい者は、情け深くて人に施す。」箴言4:18「義人の道はあけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」もっとも良いお手本はイエス・キリストです。エペソ4:32「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ5:1「愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」これらの性質とはことなって、主に訴えるもの、告げ口をするもの、そしるもの、これらはサタンの性質になります。私達の肉なる思いは御霊の思いに逆らうことがあります。正しい生き方が主に従う生き方であるなら、間違った生き方とは主に従わない、主に逆らう生き方になります。パウロも第1コリント9:27で「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。」といっています。ですから自分の思い、思想、考えを御言葉に従わせていくことが必要です。

  このような生き方の報いとはなんでしょうか。御言葉を実行する人は繁栄します。ヨシュア1:8「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからでる。」 そして主は、主に従って生きる人に良いものを拒まれません。詩編92:12-14「正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」また、私たちは、最後の日に私たちの正しさに応じて主の裁きの御座の前に立たなければなりません。どれほど主に従って生きたか、それは神様のみがご存知です。第2コリント5:10「私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いをうけることになるからです。」詩編58:11「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」

  これが道だ。これに歩め。と主は私たちに従うべき道を示されています。私たちもダビデのように、私の義と、私にある誠実とに従って、「私を弁護してください。」と告白できるように、正しく主に従って生きましょう。正しく歩む者の祈りに主は応えられます。そしてその祈りは強いです。ヤコブ5:16「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
  イエス・キリストがご自身の命まで捨てて、神の豊かな恵みと永遠の命を私たちに与えてくださいました。ですからイエス・キリストを主と告白して罪を悔い改めた時から私たちのうちには聖霊様がおられ、クリスチャンが義と誠実とに歩むことを望まれています。祈りによって聖霊様の力を求め、その豊かな恵みにあずかる者となりましょう。そして、主に従うことを私たちの行き方の特権としていきましょう。


 

 2002/05/08更新

 

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