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ペンテコステの恵みとは - わたしの霊によって

- 2002年5月19日 -

 水野 明廣 師

ゼカリヤ4:6-7

  バビロン捕囚から解放されたイスラエルの民は、主の神殿を再建しようと奮い立っていました。しかし、十分な力も、組織された働き人も不十分で、意欲が冷め始めていたその時に、ゼカリヤを通して神の預言が与えられました。
「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』・・・大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」(ゼカリヤ4:6-7)

  主は、私たち人間の目から見ると、実に不思議な形で歴史に介入されます。「使徒の働き」を見てみましょう。イエス様は「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と言い残されましたが、果たしてそれは、五旬節、ペンテコステの日に「みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:4)そして「その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」(使徒2:41)「使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」(使徒2:43)という形で成就しました。
  その後「エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」(使徒8:1)のですが、かえってそれは、聖霊様のお働きと福音を「地の果てにまで」飛び火させる結果となったのです。

  ペンテコステの日、弟子たちは、ただ漫然と集まっていたのでしょうか。決してそうではありません。イエス様の御約束を信じて、飢え渇いて、求めて、心一つに祈りつつ、一堂に会していたのです。それだからこそ、聖霊様が激しく臨まれ、その後の奇蹟や不思議やしるしが現れたことは間違いのない事実です。
  私たちは、いやしや解放、きよめや問題の解決を祈り求めます。しかし、私たちが第一に求めるべきは、主御自身であり、聖霊様の御臨在です。そして、そこには、心の底からの真の飢え渇きが必要です。主は預言者イザヤを通してこのように言われました。「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」(イザヤ44:3)私たちは、霊的な現状に満足せず、もっともっと飢え渇いて、主に叫び求めましょう。
 「神にはえこひいきなどはないからです。」(ローマ2:11)ペンサコーラやトロントをはじめとして、世界のあちこちにリバイバルが起きています。では何故日本の教会には与えられないのでしょう。
  飢え渇きが足りないのです。私たちはもっと真剣に求めるべきです。そして、ここで注意しなければなりません。主は既に「わたしの霊があなたがたの間で働いている。」(ハガイ2:5)とおっしゃっています。聖霊様のお働きを、私たちが妨げることのないようにしましょう。「神の聖霊を悲しませてはいけません。」(エペソ4:30)兄弟姉妹の間で陰口を叩いたり、足の引っ張り合いをするようなことを、断じてしてはなりません。そしてもう一つ「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル10:36)とあるように、初代教会の使徒たちも、現代のリバイバルの担い手たちも、忍耐強く、心を注ぎ出して祈り求めました。荒れすさんで、飢え渇いた自分を、主の前に差し出して、真剣に求めてまいりましょう。そして、聖霊様が喜んで働いてくださり、主の御手が動いて、神の現実を目の当たりにする、そんな信仰生活を送られますように。


  主よ、渇きます。主よ、助けてください。私たちが主のものになりきれますように、自分自身を御手に明け渡します。あなたの意のままに私たちをお取り扱い下さい。聖霊様、ペンテコステのこの日に、もっともっと強く臨んで私たちを燃やしてください。イエス様の御名によってお願い致します。アーメン。

 2002/05/22更新

 

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