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「アバ、父」と呼ぶ神 - 父の日スペシャルメッセージ

- 2002年6月16日 -

 水野 明廣 師

ガラテヤ4:6

「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」(ガラテヤ4:6)
  私たちがクリスチャンであるということは、天地万物を創造し、それらを今も保っておられる神様の子供であるということです。イエス様の時代、イエス様が主なる神様を「アバ、父」と呼ぶように教えられたのは画期的な事件でした。そして、このことこそが、ユダヤ人たちを激怒させ、イエス様を十字架につけさせた理由であったのです(ヨハネ5:18,19:7)。その十字架刑の前、ゲツセマネで主イエス様は、私たちの罪、咎、痛み苦しみを一身に背負ってこう祈られました「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39)

  さて、今日、父、お父さんという言葉が必ずしも良いイメージや響きをもって扱われないことは悲しい事実です。「お父さん」というと、自分を愛してくれる優しいお父さんではなく、自分を虐待したり、捨てたりした酷い父親であるために、主なる神様を「天の父よ」と呼ぶことにどうしても抵抗がある方が大勢おられます。言葉には、その人が育ってきた環境で植え付けられたイメージが投影されるからです。一方、子供との間に高い壁・深い溝があって、良い父親になりたくてもなれないで悪戦苦闘している方々がおられるのも事実です。いずれにしましても、私たちは聖書のみことばと、聖霊様の助けによって、「父なる神」がどのようなお方なのか、正しく理解しておく必要があります。
  良い父親とは、自分の子供を思い通りに支配しようとするのではなく、独り立ちするのを助け、祝福する父親です。創世記のアブラハムは良い父親の典型と言えるでしょう。また、ヤコブも、ヨセフの二人の息子を自分の子供として祝福しました(創世記48章)。そして良い父親は、子供がどんな環境にあっても、子供の成長・成熟を待ち、しかも自分のほうから手を差し伸べるのです。あの有名な放蕩息子の父親は息子が帰って来た時、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」のでした(ルカ15:20)。
  私たちの天のお父様は私たちを絶対に見放しません。いつもそばにいて下さいます。そして限りなく深い愛の御腕の中に私たちを抱き寄せて、納めて下さるのです。その愛の広さ・高さ・深さは、私たち人間の知性では知り尽くせないほどのものです。みことばには、父なる神様の特質がここかしこに述べられています。「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:45)「天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」(マタイ7:11)「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)
  一生懸命働いて家族を大切にするお父さんは、父なる神様のイメージを反映しています。お父さんは、是非「どこででもきよい手を上げて祈るように」(1テモテ2:8)して、家族を祝福してあげて下さい。そして、子供である私たちは父親を敬うようにしましょう。それが私たちへの祝福として帰ってくると聖書に約束されているのです「「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。」(エペソ6:2〜3)
  1994年に始まり、今も続いているあのトロント・ブレッシングは、聖霊様の助けによって、父なる神様の愛の素晴らしさをより深く知り、霊的刷新を経験することです。“walking in Father's love,and give it away”私たちも天のお父様との交わりをもっと深めて、祝福を流し出せる家族となっていきましょう。


  優しくて麗しい天のお父様、この身をもっとあなたに委ねたいのです。もっとあなたに似た父親になりたいし、地上の父親を愛したいのです。聖霊様、「アバ、父。」と呼ばせて、父なる神様としっかり結んで下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 2002/06/18更新

 

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