トップページへ神の家族キリスト教会

 

良きサマリヤ人

- 2002年6月30日 -

 瀧元 望 師

ルカ10:25-37

  この「良きサマリヤ人のたとえ」は、もし知らなかったらモグリのクリスチャン(?)と言われるほど有名で、最近はボランティアなどノンクリスチャンの人たちまで引用するほどの箇所です。しかし今回は、そこだけを取り出すのではなく、ルカの福音書9-10章の文脈の中で、少し違った視点からこの箇所を読んでみたいと思います。

  ルカの福音書9-10章では、イエス様が弟子たちを福音宣教のために派遣していきます。9章の12人も、10章の70人も「旅のために何も持って行かないようにしなさい。」と言われていますが、ただ一つ御自分の御名を携えて行くようにされました。
  今日、私たちクリスチャンも大宣教命令によって遣わされているのです。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18-20)
  これに従うクリスチャンの日々は霊的戦いの連続です。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」し、(1ペテロ5:8)イエス様も「さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。」(ルカ10:3)と言われました。

  しかし私たちには天において保証されたクレジットカードが与えられています。即ちイエス様の御名です。福音宣教・伝道は、人間的な知恵や方策、口先の説得ではなく、聖霊様のお働きと神の権威によって前進します。イエス様の御名には「天においても、地においても、いっさいの権威」(マタイ28:18)「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威」(ルカ10:19)が伴います。私たちはこのクレジットカードで額面通りイエス様の勝利を受け取るのです。「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。」(コロサイ2:15)これこそがイエス様の十字架の勝利です。

  イエス様は「聖霊によって喜びにあふれて」おられました(ルカ10:21)。「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7)ここで水を差したのが「ある律法の専門家」でした。彼は自分の正しさを誇示して「イエスをためそうとして」質問をぶつけたのです。イエス様から逆に問い返された彼の答えは模範解答でした。そして「では、私の隣人とは、だれのことですか。」とイエスに問いかけた、その答えが「良きサマリヤ人のたとえ」なのです。
  そして、「反対側を通り過ぎて行った」祭司とレビ人を批判するのは簡単です。しかし、彼らの行動は、実は彼らに出来るせいいっぱいのことでした。犠牲者が倒れているということは、その付近に強盗がいる証拠です。彼らは自分の命を守るためにはそうせざるを得なかったのです。私たちはどうでしょうか。敵の存在を知ったときに、それでも自ら勇猛果敢に戦えるでしょうか。
  また、イエス様のこのお話には、「ある律法の専門家」こそ倒れている犠牲者なのだよ、というメッセージも込められています。

  ここで登場するサマリヤ人は、ユダヤ人のすぐそばに住んでいながら、その異端的な偶像礼拝(第二列王記17章)や混血によって、ユダヤ人とは敵対関係にありました。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ53:3)とあるように、ユダヤ人に蔑視されていたサマリヤ人は、イエス様を表しています。サマリヤ人も、付近に強盗がいる可能性は知っていたでしょう。しかし彼はひるむことなく「近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった」のでした。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(1ヨハネ4:18)私たちは、イエス様の霊性を頂いてイエス様の愛で愛していく時、それも、自分が一番愛しにくい人を愛していく時、はじめて「隣人」になれるのです。自分から壁を打ち壊す決意も必要です。その時に御霊のお働きによって、神のいやし、神の栄光が現れるのです。
  あなたの「隣人」は誰ですか?「あなたも行って同じようにしなさい。」


  主イエス様、私たちの力ではできません。自分は何ももっていないことも知っています。イエス様によってとりなし、愛することを教えて下さい。イエス様の愛と、聖霊様のダイナミックな力を与えて下さい。そして「良きサマリヤ人」として私たちを遣わして下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 2002/07/03更新

 

先頭へ

戻る