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だれがあなたの幕屋に宿るのでしょうか

- 2002年7月14日 -

 水野 明廣 師

詩篇 15:1-3

 神様の最大の願いは、私たちと共にいることです。なぜなら神は愛だからです。愛は結びの帯として完全です。愛は結びます。愛するなら一緒にいたいと願うのです。イスラエルの民と共にいたいと願われた神様は幕屋を造られ、そこに住まわれました。しかし聖なる神様と民との間には隔ての壁があり、年に一度、大祭司だけしか神の臨在される至聖所には入ることができませんでした。イエス様は十字架にかかって、隔ての壁を打ち破ってくださいました。ですから私たちは主の臨在を体験することができ、インマヌエルの神であられる主と共に歩むことができるのです。

 詩篇15編には、だれが主の幕屋に住むことができるのかを教えています。正しく歩み、義を行い、心の真実を語る人です。具体的には、舌をもってそしらず友人に悪を行わず、隣人への批難を口にしない人です。私たちはイエス様がおられるところで、人をそしったり批難したりできないはずです。主が聞いておられることを忘れてはいけません。親しい間柄、夫婦の間でも言葉に気をつけましょう。主は「兄弟に腹を立てるものはだれでも裁きを受けなければなりません。兄弟に向かって『能無し。』というようなものは、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』というようなものは燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイ5:22)」と厳しく戒めておられます。私たちの何気ない一言が人を生かしもし、殺しもします。人の人生を変えてしまうくらいの影響力があるのです。

 聖霊様が私たちの舌を支配して異言を語らせるのも、語る言葉によってその人の思想や行動が支配されるからです。あなたが正しいとされるのはあなたの言葉によるのであり、罪に定められるのもあなたの言葉によるのです(マタイ12:37)。

 また、兄弟姉妹をそしるのはキリストの体をそしることです。主はクリスチャンを迫害していたサウロに「なぜわたしを迫害するのか。」と言われました。兄弟姉妹にすることは、イエス様にすることと同じなのです。

 私たちは聖霊さまが悲しまれるような悪い言葉を一切、口から出さないようにしましょう。実際、私たちの舌を制することは簡単なことではありません。私たちの生活には、いらいらさせたり、怒っても仕方ないと思わせるような落とし穴があります。つまづきが起こることは避けられません。

 それでも私たちは人の徳を立て、恵みを与える言葉を語りましょう。聖霊様は助けてくださいます。まず、私を変えてくださいと祈りましょう。私たちの間からそしる言葉や批難する言葉が取り除かれれば、私たちの教会に家庭にもっと主の臨在が現れ、主が立ち上がってくださるのを見ることができるでしょう。


 

 2002/07/18更新

 

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