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私は主に申し上げました

- 2002年7月21日 -

 水野 明廣 師

詩篇 16:1-2

  私たちクリスチャンには、言葉を発するのに3つの方向があります。まず自分です。「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。」(詩篇42:5)などはその典型です。しかし、口から出る言葉の大部分は自分より他の人に対してでしょう。そして、第三に、主に対して申し上げることで、これが一番大切なことです。確かに主なる神様は、全知のお方ですから、「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」(詩篇139:4)また、私たち日本人は「以心伝心」と称して「言わなくてもわかっている。」と黙り込んでしまう傾向がありますが、クリスチャン生活において、口に出して、主にはっきりと申し上げる習慣をつけることはとても重要で、祝福の秘訣でもあるのです。

  ヤコブの手紙では、私たちの舌は船のかじに例えられています。「また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。」(ヤコブ3:4)かじがほんの少しでも狂っていれば、どんどん船はとんでもない方向へ行ってしまうでしょう。私たちは口にする言葉をよくよく吟味しなければなりません。

  ダビデは、まず最初に「神よ、私をお守りください。」と言っています。人生の究極的な守りは主なる神様に他なりません。一日の初めに、何かをする時に、そして友人や家族のためにとりなしの祈りをする時に「・・・を守って下さい。」と申し上げるようにして下さい。「主がいつも守って下さるから大丈夫。」確かにその通りですが、それでもあえて「守って下さい」とお願いするのです。
 「私は、あなたに身を避けます。」私たちにとって一番安全な場所はイエス様の御臨在の中です。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」(詩篇18:2)「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)

  「私は、主に申し上げました。」ダビデのように、何でも御存知であられる神様に、私たちもはっきりと申し上げるようにしましょう。私たちの救いには信仰の告白が必要です。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:9〜10)義の衣を着せられた私たちは「あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づ」くことができるのです(ヘブル4:16)。

  ダビデは「あなたこそ、私の主。」と告白しました。英語のKJVでは“Thou art my Lord”の“art”がイタリックで強調されています。この告白はダビデの真心からのものであったのです。「あなたのようなお方はほかになく、あなたのほかに神はありません。」(2 サムエル7:22)この後、主イエス様は、このようにおっしゃいました。「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」(マタイ10:32)ローマ帝国の支配下にあった当時の人々は、「キュリオス・カイサル」(皇帝カイザルは主です。)と挨拶していました。そんな中で「キュリオス・イエスース」(イエス様こそ主です。)と告白するのは命がけでした。「あなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれて」いるのですから(マタイ16:19)、私たちの心からの信仰の告白は天において認められているのです。「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」(ヘブル4:14)

  「私の幸いは、あなたのほかにはありません。」私たちの信仰の告白、口のことばによって天の恵みの御座が開かれ、地上の実生活の中に神様の御業が現わされて、私たちは主の大いなる恵みの中を生きることができるのです。「恐れるな。ダニエル。・・・私が来たのは、あなたのことばのためだ。」(ダニエル10:12)はっきりと口に出して、主に申し上げることによって、神様が介入されるのです。

  告白と祈りのために、神様の御性質をよく知っておきましょう。神様はいつくしみ深く(詩篇25:8、1ペテロ2:3)、あわれみ深く(詩篇86:15)、恵みは大きいお方です(詩篇57:10)。主は美しく、慕わしいお方で(雅歌1:16)、聖なるお方です(レビ11:45、イザヤ6:3、黙示録4:8)。主は忠実また真実(黙示録19:11)であり、私たちを愛して下さるお方です(1 ヨハネ4:8〜10)。主は全能の神(創世記17:1、エレミヤ32:17)、全知の神(1 ヨハネ3:20)です。すべてを見ておられ(ヘブル4:13)、いつも共にいてくださり(マタイ28:20)私たちを支えて下さり(詩篇3:5、詩篇54:4、詩篇145:14)、私たちの助けです(詩篇33:20、詩篇40:17)。主は救い主(ルカ1:47、エペソ4:23)、いやし主(出エジプト15:26、詩篇103:3)、慰め主(2コリント1:3)です。主は私たちを満たして(イザヤ58:11、使徒14:17、ピリピ4:19)、導いて(出エジプト23:20、2 コリント2:24、黙示録7:17)、守って(創世記28:15、詩篇12:7)、回復して(ヨブ8:6、ナホム2:2、使徒3:20)下さる贖い主(詩篇31:5、箴言23:11)です。そして私たちの祈りを聞いて下さり(詩篇6:9、詩篇65:2)、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方(エペソ3:20)なのです。

  主の御前に出て、主に信仰の告白をして、聖書のみことばが現実のものとなり、主御自身が共にいて下さることの幸いを実感する、そんな毎日の歩み、クリスチャン生活でありますように。


  主イエス様、聖霊様の助けによって、いつでも、どこでも、誰の前でも、あなたこそ主であると告白させて下さい。あなたが共におられる幸いを告白させて下さい。御名によってお祈りします。アーメン。

 2002/07/24更新

 

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