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私は口のあやまちをしまいと心がけました

- 2002年8月4日 -

 水野 明廣 師

詩篇15:1-5

「第二歴代誌16:9 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」

  主は、この世やすべての人類に愛を現わし、主の御力を現わしたいと願っています。主は働いておられ、ご自分の御力を現わすことができる人をさがしておられます。ある牧師が、訪問してほしいという依頼があってある方の病室を訪れました。そこには驚くほどの神の臨在があり、それまでのとりなしの祈りがされていたのを感じました。その為、とても語りやすく、口から御言葉が次々とでてきました。その方は主イエス・キリストを信じ受け入れることができ、そればかりでなく、そこで洗礼も行うことができました。また別の時には、ある方の父親が倒れて集中治療室に入っていると言うことでその方を訪れました。しかし、面会謝絶で会うことができませんでした。後で分かったのですが、その方は病室の中で主イエス・キリスト御自身にお会いになり、主を受け入れたそうです。このように主はご自身を直接現わすこともできるお方です。だれが主の力、御力を現わすことができるのでしょうか。それは主の言葉を行う人です。それは、言葉が主の御心そのものだからです。
   
  主の言葉が大事なように、私たちが語る時、私たち自身の言葉に気をつけなければなりません。「詩篇141:3 主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」 祈りに答えられるため、主の御手の業が現わされるためには、私たちが言葉を語るときに細心の注意を払う必要があります。私たちがそしりの言葉を語ることは、主の御力の現れを阻むことです。「箴言13:3 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。」また、「箴言18:20-21 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。」 言葉や唇、舌に関する御言葉は、詩篇や箴言にたくさんあります。それほど言葉というものは重要です。ヤコブの3章には、「舌は私たちの人生の舵取りをし、舌を制御することができる人は完全な人であるとあります。マタイ12:37 には「あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」とあります。
  言葉は行いの先にあり、何もかもの始まりです。「ヨハネ1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神であった。」詩篇17:5には、「私の足はよろけませんでした。」と、あります。それは詩編17:3に、「私は、口のあやまちをしまいと心がけました。」とあるからです。唇を守ることは命を守ること。それは私たちの願いです。

  聖霊のバプテスマとは何でしょうか。それは聖霊様が私たちの内に望み、新しい人に私たちが創り変えられることです。ですから言葉が変わると人は変えられていきます。満たしの結果、新しい人になった証として異言(新しい言葉)を受け取ります。聖霊様は私たちが言葉を正しく語ることができるよう助けてくださるお方です。語った言葉の結果を私たちは報酬として受け取ります。ですから、わざわいとなるような言葉を語ることから避けましょう。言葉を語ることを些細なことと思わず、聖霊様に助けて頂きましょう。
そのための方法として3つほどあげます。

1. もっと異言で祈りましょう。第一コリント14章には異言を語ることは自分の徳を高めるとあります。異言は、主の御霊によって語られることばです。ですから、異言で祈る時に、私たちは生まれつきの性格や性質が変えられていきます。

2. 希望をかたりましょう。言葉を語ることは神様にたいする告白です。願いや祈りが答えられることと、それを言葉としてあらわしていくことは非常に深い関係にあるからです。

3. 私たち自身が唇のあやまちをしないように心がけましょう。聖霊様が哀しまれる言葉を語るとき、私たち自身が神様の祝福を受け取ることを阻んでしまうからです。


「わたしたちは言葉の過ちをしないと心がけます。イエス様が神様によって歩まれたように、私たちもイエス様、あなたによって歩みあなたを喜ぶ言葉を語ることができるように助けてください。アーメン」

 2002/08/08更新

 

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