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どうか、隠れている私の罪をお赦しください

- 2002年8月18日 -

 水野 明廣 師

詩篇 19:7-14

  一見、何の異常も病気もなく、健康そうに見える私たちですが、実は誰でもいくらかの癌細胞をからだの中に持っている、と言ったら驚かれるでしょう。それでも無事でいられるのは、人体のシステムが癌細胞を排除してくれているおかげなのです。また、癌ほど重大な病気でなくとも、私たちは人間ドックや健康診断でからだに異常がないかどうか、常日頃から気を配る必要があります。信仰生活でも同じです。癌よりも恐ろしく、始末の悪い「罪」の問題は避けて通ることができません。

  私たちの周りにある家電製品や自動車には、必ず取扱説明書がついています。正しく使われて役に立つように、また、間違った使い方をして、とんでもない事にならないようにするためです。そして、私たちクリスチャンには信仰生活の手引きとして、神様のみことば、聖書が与えられています。私たちが罪に飲み込まれ、罪に支配されないための戒めとして、創造主なる神様が下さったのです。罪は癌よりも恐ろしい結末をもたらします。 ですから、モーセはイスラエルの民に、何度となく「きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである。」(申命記4:40)と繰り返しました。預言者エレミヤもまた「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしは、あなたがたの神となり、あなたがたは、わたしの民となる。あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。」(エレミヤ7:23)と預言しました。

  病気は早期発見・早期治療が大原則です。また、自分にはわからなくても、傍から見れば、あるいはお医者さんが見れば、自分では気が付かない病気が見つかることは多々あります。罪も同じです。ほんのささいなあやまちも、何度も繰り返しているうちに隠れた罪となって根付いてしまいます。あのダビデはそのことをよくわきまえていましたから「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」(詩篇26:2)と常に祈っていました。

  自分で気が付かなくても、家族や兄弟姉妹から指摘されて、罪を認めたら、ただちに悔い改めることです。たちが悪いのは、他人に隠れて自分だけがこっそり行っている罪です。「これくらい大したことないさ。」「誰だってやっている事よ。」といって放置していれば、そのうちに傲慢が芽生え、命取りになるほどの大きな罪に成長していきます。

  聖霊様に指摘されても悔い改めなければ、遂には手遅れです。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」(ヘブル10:26-27)


  私たちは、罪に縛られないように、まず「あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえ」ましょう(詩篇119:11)。そして「口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられ」るように心がけましょう。イエス様は「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」と言われましたし(マルコ7:20-23)、パウロは「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。」と言いました(エペソ4:29-30)。「自分の口を見張る者は自分のいのちを守り」ます(箴言13:3)し、「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(ヤコブ3:2)

  そして「力の限り、見張って、あなたの心を見守」って下さい(箴言4:23)。主は預言者サムエルにこうおっしゃいました「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7)ダビデは、この事の大切さをよくわきまえていましたから、詩篇の中で繰り返しています。「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。」(詩篇15:1-3)「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。」(詩篇24:3-4)そして、息子ソロモンへの遺言・祝祷の中でも「私の神。あなたは心をためされる方で、直ぐなことを愛されるのを私は知っています・・・主よ。御民のその心に計る思いをとこしえにお守りください。彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。」と祈りました(1歴代誌29:17-18)。


  かつて主はエレミヤを通して「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。」(エレミヤ17:5)と仰せられましたが、新約の時代に生きている私たちは、御霊なる主、信仰の創始者であられるイエス様にいつも心を向け、助けていただきましょう。「御霊による思いは、いのちと平安です」(ローマ8:6)「イエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2テモテ2:8)「キリスト・イエスに頼る時、その平安は、あなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです。」(ピリピ4:7,リビングバイブル)また、パウロが「私たちは、あなたがたがどんな悪をも行なわないように神に祈っています。」(2コリント13:7)と祈ったように、兄弟姉妹の心のためにも主に祈ることを忘れないで下さい。

  ある神学者は「あなたの思いはあなた自身である。」と言いましたがまさしくその通りです。私たちの思いには、主権者であられる主の御手さえ及びませんし、聖霊様が強制的に思いを変えることもされません。アダムとエバの原罪により、生まれながらにして心がきよく、罪を犯さない人はひとりもいません。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)あなたの決断が必要なのです。「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」(ピリピ4:8)「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)今日からでも遅くはありません。もっと主に心を向け、聖霊様に助けて頂きながら、口のことばと、心の思いとを吟味して、お互いの徳を高め、主の恵みといつくしみをもっと体験していきましょう。


  私たちの思いを御存知であられる主よ、あなたの御旨に反する思いやことばを持ち続けることがありませんように。いま、私自身をあなたに明け渡します。しっかりと心を見張れるように、聖霊様助けて下さい。私を一新して下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 2002年8月21日更新

 

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