トップページへ神の家族キリスト教会

 

アドバルーンクリスチャンのすすめ

- 2002年10月6日 -

 村仲 俊朗 師

使徒 22:24-30

皇太子妃雅子様は、皇太子のお妃として召されるまでに4年間も、興信所をつかって、あらゆることを調べられたそうです。その結果、皇太子妃としてふさわしい方とされたのです。私たちはどうでしょうか。天使が毎日私たちのことを神様に報告されたら、1日でダメだといわれてしまうかもしれないですね。(笑)でも、私たちは、十字架にかかられたイエス・キリストによってすべての罪をゆるされ、義とされました。それによって、神の御前にふさわしいものとされたのです。感謝です。

人は、人からの言葉に影響を受けやすいものです。私(村仲牧師)は故郷の九州からでてくる時は、意気揚揚として出てきました。名古屋に降り立ったときも、これからがんばるのだという意識がありました。ふと、そこに重い荷物をもったおばあさんがいたので、「手伝いましょうか?」と、声をかけたところ、「おおきに。地方出身かい?言葉ですぐわかるよ。」といわれ、気持ちが、がくっと引き下がりました。それは、九州にいるときに先生から指摘され、なまりを直すことを充分意識してきたつもりだったからです。それが降り立った名古屋の駅で、それもおばあさんに指摘され、すっかり高揚した気持ちもなくなってしまったのでした。同様に、千人隊長は、捕らえたパウロの命は自分の手の中にあると思っていましたが、ローマ市民だとわかると、自分が手出しをできないばかりでなく、自分の身が危うくなるため、急に恐れました。人は人と比べて評価し、またその評価によって優越感や劣等感にひたります。人々からの言葉によってまるでエレベーターにでものっているかのように、自分の気持ちは上がったり下がったりしてしまうのです。

日本では登校拒否の高校生がたくさん増えています。そういった高校生を教育し、単位を取得させ、また同時に精神面においてのケアも行うといった働きをしている牧師がいます。それを知った、ある登校拒否の高校生の父親は息子をそこに送り込もうと思いました。実際その息子さんはそこへいき、解放されていきました。あるとき、息子さんが洗礼を受けることを決心し、父親に告白しました。父親は、教育さえ受けることができればいいと考えていたので、クリスチャンになるなどとんでもないと思いました。そして、息子の気持ちをくじこうと、作戦を練りました。あるとき、父親は「おまえは小さい時、ほんとに何もできなかったんだ。ダメな人間で、何をやらせてもダメな弱い人間だったんだ。」といって、息子を怒らせて気持ちを引き下げようとしました。しかし、息子からでた言葉は、予想とは全く違うものでした。「僕は本当に自分が弱い人間だとわかりました。だから神様とともに歩み、成功した人生をおくりたいのです。だから洗礼を受けさせてください。」また、こうもいいました。「お父さんは会社でうまくいっているの?お父さんだって本当は弱いんじゃない?」父親は言葉によって息子を引き下げようとしました。しかし反対に息子の信仰によって父親までもが引き上げられたのです。

ですから、パウロのようになる秘訣は、第1コリント 4:3にあります。「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。」リビングバイブルでは、「人が自分を評価したことを全く気にしません。」とも書いています。また、私たちが主からの祝福をうけるために必要なこととしてルカ 6:28があります。「あなたをのろう者を祝福しなさいあなたを侮辱する者のために祈りなさい。」そして、マイナスと思えることさえも大きなプラスとします。ローマ 8:37-39 「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

貴乃花が相撲を取ったとき、「まげ」が地上に先につくかつかないかで、負けたことがありました。そのとき、インタビュアーが、「まげさえなければ、勝ってたのに、惜しかったですね。」と話したところ、貴乃花は「まげがなかったら、相撲取りじゃないよ。」と話したそうです。それさえなければよかったのに、と思うことがあっても、主が私たちに良しとして与えられたものです。

恐れや不安や人の評価、親であっても、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き下げるものはありません。社会や学校、会社の中にあっても、圧倒的な勝利者となります。私たちを引き上げてくださる主を見上げて、歩んでいきましょう。


 

 2002年10月10日更新

 

先頭へ

戻る

村仲 俊朗 師