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主がお入用です

- 2002年10月13日 -

 水野 明廣 師

ルカ 19:30-31

  今朝、私たちはさまざまな生活の心遣い、束縛、誘惑などから、ひと時ほどかれてこの礼拝の場所に来ました。イエス様は、エルサレムに向かっていく途中、弟子にロバの子をほどいて連れてこさせ、そのロバの子にお乗りになって、エルサレムに入ってこられました。(参照 ルカ 19:30-31)

  主は、堂々と立派な馬に乗って、力強い威厳のある姿ではなく、見栄えのしないロバの子に乗って、謙遜で柔和なお姿でこられました。主は、ロバの子をあえて選ばれました。イエス様がわざわざ私たちのような者を弱さを持ったまま、欠点あるままで世の束縛から一瞬ほどいて礼拝に連れて来られたのはなぜでしょうか。イエス様は「あなた方が私を選んだのではありません。私があなた方を選び任命したのです。」(ヨハネ:15:16)とおっしゃり、また「父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。」(ヨハネ:6:44)とおっしゃっています。今朝、私たちがここにいるのは主が選んで連れて来られたからです。

  イエス様が、人々の目に留まることもなく、縛られていたロバの子を解かれて用いられたのは、ロバの子には何も誇るものもなく、見せかけや自慢がないからです。同様に、主は目立った魅力や才能がなくても、自慢や虚栄がなく、イエス・キリストの十字架以外何も誇りとしない人々を用いられます。物の価値はそのもの自体ではなく、むしろ誰が所有しているか、誰がそれを使うかによって価値が決定します。同様に、私たちも誰が、その人の人生を動かしているか、誰がその人を治めておられるのかが大切です。私たちは全能の偉大なる神様のものです。私たちは才能も経験もない無力な者かもしれません。
しかし、そこで終わらないように、主は私たちを召されました。私たちを通して栄光を現すためです。私たちが、全面的に主に身をゆだねて、口の言葉、心の思い、人生のすべてを治めていただくなら、主は私たちを用いられ、主が栄光をお受けになられます。主は渇いている人のところに来られます。人生を価値のあるものにするのは、私たちのお乗せしているイエス様です。人を変えることができるのは、聖霊様だけです。
自分の力でがんばらず、自分が目立とうとせず、イエス様をお乗せする子ロバに徹しましょう。イエス様は子ロバのように取るに足りない私たちを、世の束縛から解いて、主の御用のために召してくださいました。子ロバのようにみすぼらしく、弱いものだからこそ主にすがりましょう。主は心の透き通った人、主の前に曇りのない透明な生活をしている人を用います。イエス様をお乗せして、イエス様に明け渡して歩み続けるなら、主が立ち上がって、私たちを通して栄光を現して下さいます。


 

 2002年10月16日更新

 

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水野 明廣 師