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試練は誉れに変わる

- 2003年2月16日 -

 水野 明廣 師

詩篇 29:10-11

  私たちの信仰生活には、必ず「大洪水」、即ち、わざわい、苦しみ、困難、試練がやってきます。特に、みことばに従って生きようとすると、古い「肉」の性質との対立が避けられませんし、この汚れた偶像崇拝がはびこる日本の国でまことの神様を礼拝しようとすれば、さまざまな軋轢を生じます「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(II テモテ 3:12)。その他、あのパウロ(II コリント11:23-27)ほどではなくとも、実社会や家庭において「大洪水」を経験しないでは済みません。「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」(使徒 14:22)また、敢えて主が試練の谷間を通される事もあります。「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。」(イザヤ 48:10)「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。」(申命記 8:5)しかし、「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。」のです。全てを治める王なる神様は真実なお方です。「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(I コリント 10:13)
  初代教会のリーダーたちがそうであったように、クリスチャンは、主に大いに用いられるほど、激しい攻撃・迫害を受けます。しかし、彼らはそれに屈しませんでした。それどころか、「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」(使徒 4:29)と祈ったのです。「主は、ご自身の民に力をお与えになる」ことを知っていたからです。「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」(イザヤ 12:2)「私の力の岩と避け所は、神のうちにある。」(詩篇 62:7)そう、主こそ私たちの力なのです。


  そして「主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される」ので、「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(II コリント 4:8-9)と高らかに宣言できるのです。
  試練の嵐の中で、主を見失わず、ますます主に信頼し、なお主に賛美のいけにえをささげましょう。幹であられるイエス様にしっかりと根付いた枝になりましょう。「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(II コリント 12:10)「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(II コリント 12:9)この世の勝利ではなく、主にある勝利の栄冠を待ち望みましょう。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(詩篇 30:5)


  主イエス様、大洪水の中、嵐の中に御臨在され、私たちに御手を置かれて力を賦与して下さることを感謝します。大洪水の中、嵐の中で、聖霊様、特別に慰めと励ましを与えて下さい。御名によってお願いします。アーメン。

 2003年2月20日更新

 

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