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和解の務め

- 2003年3月9日 -

 水野 明廣 師

 

●II コリント 5:18-21
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(II コリント 5:18-21)

  この御言葉は、神様の方から私たちに、一方的に和解の手が差し伸べられたということを教えています。神がわたしたちのためにお遣わしになったイエス・キリストは、ゲッセマネの園で捕らえられました。イエス様は無理矢理、兵士たちに力づくで捕えられたのではありませんでした。彼を捜しに来た人々に、「それは、わたしです。」と答え、ご自分から捕まったのです。イエス様が捕らえられたのは、私たちを解放するためです。

●キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。・・・(ガラテヤ 5:1)

 イエス様が縛られ、はずかしめられ、苦しめられたのは、私たちがこの世のどんな悩み、苦しみにも捕えられたままでいないためです。主はそれらを栄光に変えてしまわれます。(参照 イザヤ 43:7)

イエス様がムチ打たれたのは、私たちがいやされ健やかであるためです。

●・・・キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(I ペテロ 2:24)

 絶対に私たちが忘れてはならないことは、イエス様はご自分から私たちのために命を捨ててくださったということです。クリスチャン生活とは、主が私たちのためにしてくださったことを発見していく旅であると言えます。イエス・キリストの十字架は、私たちをすべての罪、呪いから解放しました。私たちは神様に対して、うしろめたさを感じる必要はありません。わたしたちは完全な神との平和の関係の中にあります。

●ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ローマ 5:1)

またもうひとつには、私たちが神の平和を持つことが大切です。

●何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ 4:6-7)

私たちの神は平和の神です。神の平安はどんな嵐の中でも、洪水が襲って来ても、神はあなたの盾、あなたの力、エホバ・イルエ、備えたもう主、あなたもあなたの家族も、主が御手に治められるという、神のみ言葉(レーマ)に基づく平安です。わたしたちはなるべく早く、思い煩いを主にゆだねましょう。心配するより祈りましょう。そうし続けるなら、なんとも言えない、神の平安が心を満たしてくれます。

 わたしたちは神との平和の関係を第一とします。

 第二は、私たちが神の平和をもつことです。

 第三には神が私たちに和解の務めを託しておられるということです。

●すべての人との平和を追い求め、・・・(ヘブル 12:14)

●あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ 12:18)

 イエス様は、すべての人と平和の関係を持つようにと教えています。多くの方々が親子関係の中で傷ついています。親と子の関係が壊れていることが、その人の問題の根本的原因であることが多々あります。わたしたちは親子、夫婦、兄弟姉妹、身近な人々との和解から始めましょう。神は私たちにできないことを要求されはしません。聖霊様が助けてくださいます。祈りましょう。御言葉に従順しましょう。和解の務めをするためにイエス様がご自分の命の代価を払われたように、わたしたちも代価を払わなければならないかもしれません。しかし必ず主はそれを神の栄光に変えてくださいます。私たちはキリストの使節としてあらゆるところで和解の務めをしていきましょう。


 

 2003年3月12日更新

 

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