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新しい創造が大切

- 2003年4月20日 -

 水野 明廣 師

ガラテヤ 6:14-15、1 ペテロ 1:3-4

  復活祭は、私たちの罪・咎を一身に背負って。カルバリの丘で十字架にかかって死なれたイエス様が、三日目に甦られたことを祝う日ですが、同時に、既に天に召されたクリスチャンの方々を覚える日でもあります。誰かが召天するのは、悲しい、寂しい事ですが、私たちクリスチャンの場合はそれだけで終わりません。「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」(詩編 116:15)そして召された方々は天から私たちを見ておられます。「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」のです(ヘブル 12:1)。

  クリスチャンになるとは、「この世のものでない」者になるのです(ヨハネ 17:14)。そしてクリスチャンがイエス・キリストの復活にあずかるというのは、既に古い自分は死んでおり、新しく生まれ変わり、豊かな愛と喜びに満ちて、「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐ」(1 ペテロ1:4)、すなわち、神のいのち、永遠のいのちを相続するということです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3:16)「また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ 11:26)
  また、イエス様がこの世に来られたのは、私たちの人生の傷んだところや、歪んだ性格を手直しするためではありません。全く新しい存在に変えて下さるのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2 コリント 5:17)詳訳聖書ではこう訳されています。「それゆえ、もしもだれかがキリスト<メシヤ>にある<つぎ木される>なら、その人は<全く新しい被造物>一つの新しい創造なのです。古いもの<従来の道徳的また霊的状態>はすでに過ぎ去ったのです。ごらんなさい、新鮮な<新しい>ものが来ました。」
  「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ 6:3-4)水のバプテスマは古い自分が死んで新しいいのちを頂くことです。そして聖霊のバプテスマを受けると、私たちはキリストのからだとなるのです。「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」(1 コリント 12:13)

  それでは聖餐式の意義はどこにあるのでしょう。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」(ヨハネ 6:56-57)イエス様によって生きるにはイエス様にとどまっていなければなりません。この事は非常に重要なので、イエス様は何度も繰り返しておっしゃいました。「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ 8:31)「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ 15:4)「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ 15:9)

  「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」(コロサイ 1:13)ですから「私たちの国籍は天にあります。」(ピリピ 3:20)私たちは自分を主人にするのではなく、イエス様を主と仰がなければなりません。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル 12:2)それも律法や、誤った恐怖心からではなく、愛と喜びをもって主権をイエス様に明け渡すのです。「主イエス・キリストを着なさい。」(ローマ 13:14)「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」(コロサイ 3:17)毎日そのようにしましょう。頭で知っているだけでは何にもなりません。いつも「イエス様が私の主」と告白して、「私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」(ガラテヤ 6:14)という信仰を保ちましょう。そのために聖霊様の特別な助けを求めていきましょう。「すなわち新しい誕生の結果、イエス・キリスト<メシヤ>にある新しい性質、だけが重要なのです。」(ガラテヤ 6:15,詳訳聖書)新しい創造、新しい性質を大切に、感謝しつつ歩みましょう。


  主イエス様、新しいいのちで私たちを満たして下さっている事を感謝します。主よ、どうかあなたのうちにだけ、とどまらせて下さい。聖霊様、新しい性質の大切さを悟らせて下さい。イエス様を離れて、自分本位に語ったり行ったりすることがないように助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 2003年4月22日更新

 

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