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主と共に生きる

- 2003年5月4日 -

水野 明廣 師


詩篇34編1-7


 今日から3回にわたり主と共に生きる。主にあって生きる、という御言葉を主題にして語ります。詩篇34:1〜7を、お話します。この篇はダビデが気違いを装って、アビメレクに追われて去る時、とんでもない状況の中にいた時に書いた歌なのです。
素晴らしい預言「あなたは王様です」という言葉を貰っていたダビデは、油注ぎも受けました。ダビデは誠実を尽くし仕え、素晴らしい事をしていきますが、嫉まれ、恨まれ、とうとう憎まれて、命までも狙われてしまうのです。詩篇の作者のダビデが用いられているのは、今日の、私たちの為であると思います。

  ダビデは、私たちクリスチャンに、歩み方を教え、また、励ますためにも、用いられていると思います。Tペテロ1:5〜7には、“救いの喜びにより私たちは喜んでいます。が、今はさまざまな試練の中で、悲しまなければならないのです。信仰の試練は、精錬された金よりもっと貴いものでり、イエス様の現われの時に称賛と栄光と栄誉に変わるのです。”とあります。
人というのは、喜ぶときは何か良い事を人から受けたとき、また、悲しむときは嫌な事を受けたり、人が何もしてくれなかったとき、と人からの行動に左右されるのです。神様は私たちを、このような時限から脱皮させたいと願っておられます。放蕩息子のお父さんの愛は神様の愛です。何もかも使い果たしてきた息子を、抱き寄せ、口付けし、暖かく迎え入れるのです。子供のためには無駄を平気でできるお父さんなのです。(参照:ルカ15章、ヤコブの手紙)日本のクリスチャンの中で父なる神様の愛の素晴らしさを知っている人は何人くらいいるのでしょう。惜しむこともせず、咎める事もしないお父さんを皆さんはご存知ですか?私たち人間社会では、このようなお父さんは存在しないのです。

  サタンはアダムの時代もそうでしたが、私たちに父なる神様はひどいお方だという印象を植え付けようと一生懸命なのです。神様はまさにあまりにも愛するものには惜しみなく与え、想像できないほどに、浪費してでも、平気でもっと与えてくださる、素晴らしいお方です。皆さんも神様の素晴らしさを決して、忘れないでください。ダビデはもちろん知っていたのです。皆さんは何か自慢するものを持っていますか?神様の御国の民の次元で考えるなら、「私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。」(詩篇34:2)とあるように主を自慢するのです。パウロ先生は、「もし誇らなければいけないなら、私は私の弱さを誇る。」と言っています。私たちが誇るものは、イエス様と、キリストの十字架だけです。今日皆さんに知ってほしいのは、ダビデが言っている「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」ということです。

  周りの状況が良い時だけではなく、苦しくとんでもない時にもです。(参照:使徒16章、ヨナ書) 主を誉めたたえる事は、神の国の民の生活なのです。クリスチャンになったという事は国籍を天に持っているという事なのです。「御国が来ますように、」と祈ることは良いことです。御国は、主への賛美に溢れています。御使いが千の千倍、万の万倍で歌っている所なのです。(参照:ヨハネの黙示録) ダビデは、天国人の生活を悲劇的な状況の時にもしていたのです。神様と共に生きる人というのは、主への賛美を、主に捧げていく生活をしている人の事なのです。主へ賛美を捧げていくことはとても大切なのです。(参照:U歴代誌20章) この世の主権者は、私たちが主に賛美をするのを邪魔をします。私たちが益々主への賛美を捧げる時、主が立ち上がってくださり、私たちの人生に主の勝利を見せてくださいます。(参照:詩篇81篇) 私たちの能力、努力、献身ではなく、主が働いてくださるので勝利を見ることができます。もっと主に向かい賛美し、誉め歌を捧げていきましょう。


2003年5月10日更新

 

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