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たましいは主を待ち望む

- 2003年5月18日 -

 水野 明廣 師

詩編 34:7-22

  主とともに生きるためには、私たちは主を恐れる事を第一にしなければなりません。「主を恐れる」とは、恐怖感を抱いて主をかしこむのではなく、主を愛し敬い重んじること、主に喜ばれたいと願い、そのように行動すること、そして、主を自分にとって一番大切な存在と思うことです。パウロは言いました「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」(2コリント5:9)私たちクリスチャンに内住される主の御霊は、主を愛し、かつ主を恐れる霊です。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7)「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」(イザヤ11:2)

  詩篇34:7節に、「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」とありますが、主を恐れる人のためには、御使いたちも喜んで特別に働きます。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:7)聖書にはっきりと書かれてはいませんが、私たちから主を恐れる心が失われたら、喜ぶはずの御使いたちはきっと大いに悲しむのではないでしょうか。

  詩編のいくつかを見ておきましょう。

●「恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ喜べ。」(2:11)
●「主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。」(22:23)
●「ことに御救いは主を恐れる者たちに近い。」(85:9)
●「主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。」(111:4〜5)
●「主を恐れることは、知恵の初め。これを行なう人はみな、良い明察を得る。」(111:10)
●「主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。」(115:13)
●「主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。」(147:11)

  そしてイエス様もおっしゃいました「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)詩篇34:9節に「主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。」とある通り、主を恐れ、主を第一にして、主に喜ばれるような生活を送っていると、人生は豊かになり、良いもので満たされるのです。「天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。」(詩編103:11)
  詩編の作者であるダビデは「主を恐れる」ことの重要性を悟っていました。主に命じられ、祭壇を築いていけにえを捧げる時も、「「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った」のです(2サムエル24:24)。
  創世記に登場するヨセフも神を重んじていました。ですから、ポティファルの妻に誘惑された時も、「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」と言ってこれを退けました(創世記39:9)。
  初代教会の聖徒たちもまた、主を第一にしていました。ペテロとヨハネは逮捕され、尋問を受けた際に「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」と毅然とした態度をとりました(使徒4:19)。その結果「一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった」のです(使徒4:31〜33)

  ここで注意して頂きたいことがあります。必ずしも「主を恐れる」と直ちに大きな祝福がやって来るのではないという現実です。ダビデの生涯は、戦いの連続でした。ヨセフはエジプトで大きく用いられる前に、長い牢獄生活を強いられました。そして初代教会は大迫害の中で信仰を守り通さなければなりませんでした。厳しい現実の中で、それでも主に仕え、主を讃美し、主を第一に歩んでいると、主もあなたを重んじられるのです。「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」(詩編25:12)「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」(33:18)
  私たちは日常の実生活で、優先順位を取り違えていないか、自分を吟味する必要があります。祭司エリは主に叱責されました。「なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。」(1サムエル2:29)神様は全てをご存知です。主よりも大切なものを持っているのは、偶像礼拝の罪です。ですからエリは祭司であったのに、「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」(1サムエル3:1)その上、彼は息子たちと共に悲惨な最期を迎えることになりました。「主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。」(詩編34:16)
  主を恐れる私たちは口を清めていなければなりません。「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。」(13-14節)この事においても、自分を吟味し、反省し、改めるべきところは改めていきましょう。「神の聖霊を悲しませてはいけません。」(エペソ4:30)
  私たちはややもすると「私たちのための主」と思い、また歌いがちですが。主客転倒です。「主のための私たち」です。「主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。」(詩編86:11)思い乱れ、あちらこちらに心が定まらなければ、助け主聖霊様の特別な助けを求めましょう。正しく主を恐れ、「主のすばらしさを味わい、これを見つめ」るクリスチャン生活でありますように。


  イエス様、あなたを見上げ、あなたと共に歩みたいのです。私の心を一つにし、主に対するきよい尊敬の心であなたに礼拝・讃美を捧げられますように。あなたをもっと敬う日々の歩みとなりますように。御名によって祈り願います。アーメン

 2003年5月21日更新

 

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