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「主と共に生きるX」

- 2003年6月22日-

詩篇34:18

水野牧師

詩篇34:18「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。

  この御言葉は、‘主がともにおられる’という生活をしていく為に、また、私たちが‘主がともにおられる’という生活を体験していくために非常に大切な要素を含んでいます。

  ‘砕かれる’という事は、ここに書いてありますように、とても重要な意味があると思います。イエス様ご自身が、マタイ11:29において「わたしは心優しく、へりくだっているから…」とご自分の事を紹介されました。‘打ち砕かれる’という言葉は、‘へりくだる’という言葉とぴったりだと思います。しかし、‘砕かれる’とか、‘打ち砕かれる’というのは、私たちが好きな言葉ではないのです。神様の前で‘砕かれる’という事は、患難とか苦しみという言葉が、つながっているのです。だから、聖書の中で‘砕かれている人’というのは、大きな試練を味わったり、苦労をした人です。

  例えば、ヨセフ、ダニエルです。イエス様も、私は、‘心へりくだった者’と言われました。ピリピ2:6‐7「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」とあります。王様が乞食になった位の事ではないのです。全ての物の所有者であり創造者であるお方が、「…万物は、御子によって造られ、御子のために造られた」(コロサイ1:16)自分を徹底的に砕き、そしてへりくだらせていかれるのです。心の砕かれること、砕かれた魂が、どうしてそんなに大事なのでしょうか。1、神に喜ばれる捧げもの 詩篇51:17神様はこの事を一番喜ばれます。主は本当に心砕かれている者、魂の砕かれた者を喜ばれます。どんな献金、どんな報酬よりも、その砕かれた魂、心を持っている事を主が喜ばれるのです。私たちが教会に来る時に ‘主よ。お聞かせください。主よ、礼拝に来れるのは何て幸せでしょうか。王の王、神の神、そのようなお方の前は、私には身にあまる光栄です。’そのような砕かれた心を持ち神様の前に来ましょう。私たちの周りに、辛い事、嫌な事、病気も含め、お金の問題などがある理由は、私たちが本物の砕かれた心を持つためです。主は砕かれた心、砕かれた魂をもっと欲しいのです。2、恵まれる生活の条件 Tペテロ5:5「…みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」 ヤコブ4:6-7「…神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。ですから、神に従いなさい。そして悪魔に立ち向かいなさい…悪魔はあなたがたから逃げ去ります」 これらは、クリスチャンが“本当に恵まれていますか?”と言われた時に、“はい、私恵まれています”と言える為の条件です。私たちが、口先だけでなく、本当に恵まれるという生活のための条件なのです。私たちは、‘自分の権利、主張です’と言う事で自我が先立ち、譲れません。でも、主は砕かれた者、へりくだる者、こういう人が恵まれるのだと言っています。箴言15:33には「謙遜は栄誉に先立つ」とあります。神様が、用いている方を、知る度に、謙遜を言葉ではなく、生きておられると思うのです。主の器というのは、神様の通り良き管です。聖霊は、私たち全員の中に住んでおられるのです。砕かれている魂からは、聖霊様の流れは生ける水となり、川となって流れてきます。ですから恵まれてくるのです。箴言18:12「人の心の高慢は破滅に先立ち…」と書いてあります。破滅したければ、威張ったまま傲慢でいなさい、と言う意味です。恐ろしい言葉です。でも、謙遜は、栄誉、誉れに先立つ。と書いてもあります。本物の砕かれた魂を持っている人は、神様が、聖霊様が、もっと働いて現れて下さっている事は、明らかです。また、本物の砕かれた魂を持っている人は落ち着いていて、穏やかな心を持っていると思います。それから、砕かれた魂を持つ人とは、主に頼り、主にすがっている人だと思います。砕かれているから、‘自分でやる’と言わずに、‘イエス様が、さしてくださる’と言えます。3、主を体験する生活 イザヤ57:15「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が…心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすため…」 砕かれた魂がどれほど大切なのでしょうか。今日の御言葉、詩篇34:18に、「…魂の砕かれたものを救われる」 この救いは、私たちが日々負っている生きるための戦いの中からの救いです。主は私たちが砕かれると救ってくださる。主はすぐ近くに臨在を現してくださいます。今日知っていて欲しい事は、私たちの人生には戦いがあるという事です。戦いがあれば、当然敵があります。その敵は決して、この不況とか、単なる病気という物ではありません。それらの原因となっているこの世の主権者、悪い霊との戦いなのです。それは決して人ではないのです。決して、人と争ったり、人を憎んだり、人をそしったり、人を中傷したり、人を軽蔑したり、人を嘲らないようにして下さい。人は、私たちが尊敬し、敬う対象です。愛する対象です。私たちの敵は、この世の主権者、悪の霊との戦いなのです。この悪しき者、この世の霊との戦いに勝つ一番大切な要素は、“砕かれた魂”なのです。Tコリント13章で、“愛は自慢しない、愛は傲慢にならない”とあります。私たちのイエス様は、へりくだっておられました。

  ヘブル5:8「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び」とあるように、神の御子、神ご自身であられ、人となられたイエス様が、試練や苦しみの中で、徹底して、常に砕かれながら主に従い通していかれたのです。ですから、イエス様が、歩いていくだけで、サタンが退き、イエス様の声を持って、イエス様が何か語られたら、彼らは対抗できなかったのです。ヤコブ4:6-7に、‘へりくだってごらん、恵まれます。そして神様に従って悪魔に対抗したならば、悪魔は逃げ去る’と書いてあります。悪魔は対抗してあなたに向かってくるとは書いてありません。ダニエル10:12「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前で、へりくだろうと決めたその初めの日から、あなたの言葉は聞かれているからだ。私が来たのは、あなたの言葉のためだ。」と御使いが神様のメッセージを持ってきたのです。ダニエルは祈りの人です。実は9章からダニエルは祈っていました。9章から10章の間は3年から5年経っているのです。毎日祈っていたダニエルに、神様は10章で“ダニエル。あなたの祈りは聞かれえた。それは、あなたがへりくだろうと決めたその日から…”と言われたのです。神様が喜んで聞かれるのは、砕かれた人、へりくだる人の祈りです。私たちが、主を体験するためにも、祈りが聞かれるためにも、砕かれること、また、砕かれた魂はとても大切です。どうしたら‘砕かれた魂、砕かれた心’になれるでしょうか。週報に3つ書いてあります、が一番大切なことはへりくだりを選ぶ事です。ダニエルは自分でへりくだろうと決心したのです。イエス様を信じようと決心し、洗礼を受けようと決め、聖霊を受けたい、と決心していきます。この事と同じように、へりくだると言うのは、自分がもっとへりくだっていく事を、もっと砕かれていく事を自分が選んでいくのです。それを選ばないと、せっかく神様が私を砕くために働いておられても、反発したり反抗したりしてしまいます。もし、神様にイライラし、私にあんなことを言ったあの人、こんなことをしたあの人、といって愛する家族に対して反発していくならば、せっかく神様が下さっているへりくだりが私の身に付かなくなります。人から誤解される、無視される、利用される、冷たくされたりしても、でも私は主よ、あなたこそわたしの主、私はあなたの恵みにすがります。神様は私の痛み苦しみをご存知です。詩篇35篇の中に、“私が愛すれば愛するほど悪くされる。私が一緒に悲しんであげたのに、その人は私に今はこんなことをする。”ダビデの悲しい歌があります。だからダビデは詩篇51篇で気が付いているのです。神の前で魂が砕かれるということが、最も主に喜ばれるのだと書いてあります。51:17「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」私たちは、選ぼうではありませんか。今朝だけではなく、一生続けてみてください。もっとへりくだり、もっと砕かれて、粉々になれば、聖霊様が思い通りに流れてくださる器となれます。クリスチャンライフでは、すべての人が活かされて、すべての人が用いられることを願っています。皆さんが会社でも、家でも、どこででも、神様からの知恵、知識の賜物、能力の賜物が与えられ、聖霊様の素晴らしい癒し、奇跡が現される、主が働いて下さる器となってくださるように祈ります。砕かれれば砕かれるほど、祈りが聞かれます。主に聞かれていきます。   

 

 2003年6月26日更新

 

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