トップページへ神の家族キリスト教会

 

健全なクリスチャン生活 I

- 2003年6月29日-

水野明廣師

詩篇37:1〜3

  詩篇が詠まれた時代も現代も、世の中には不正がはびこり、不公平はあたりまえで、悪がまかり通るという悲しい現実は変わらないようです。これは、人間にそうさせる暗闇の力、悪霊の仕業です。預言者イザヤもこう嘆いています「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。(イザヤ5:20)不正を当たり前のようにしている人々は一見栄えています。「彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれ出る。」(詩篇73:7)ダビデは妬んでいます「それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」(詩篇73:3)しかし彼は神の聖所、主の御臨在の中で悟ったのです。「ついに、彼らの最後を悟った。まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。」(詩篇73:17〜19)この後、ダビデはつぶやかなくなりました。パウロも言うように、「神にはえこひいきなどはないからです。」(ローマ12:21)

  そこで私たちが気をつけなければならないのは「ねたみ」です。ねたみは激しい思いです。「ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」(雅歌8:6)「ねたみは骨の腐れなり。」(箴言14:30、文語訳)ねたみを放置すると、時にとんでもない過ち、重大な罪を引き起こします。あのカインとアベルの事件を思い起こしてみましょう。「主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。」(創世記4:4〜5)兄カインはねたみ、嫉妬を「治めるべき」であったのに、それができないで弟アベルを殺してしまいました(創世記4:8)また、ユダヤ人たちのねたみは、イエス様を十字架に送ったのです(マタイ27:18〜「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。」)。私たちもまた、ねたみを「治める」べきです。

  ねたみを治めた聖徒が聖書に登場します。偉大な預言者、バプテスマのヨハネです。自分の弟子たちがイエスを見て、「先生。見てください・・・そして、みなあの方のほうへ行きます。」と言っても、彼は謙遜の限りを尽くして「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」と言ったのでした(ヨハネ3:26〜30)。
ねたみを一つ一つ捨てていきましょう。自分では気がつかないねたみもあることを覚えましょう。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。」(箴言4:23)そして不正や不公平のただ中でもつぶやくのをやめて、誠実を追い求め、善を行いましょう。もちろん簡単なことではなく、一朝一夕にできるものではありません。聖霊様に特別に助けて頂く必要があります。これは重大な課題なので、新約聖書には何度となく勧めがあるのです。「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。」(1ペテロ3:9)「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:9)私たちのしあわせのために神様の御言葉が与えられています。御言葉に従い、祝福の大収穫を喜び刈り取る、文字通り健全なクリスチャン生活を送られますように。

  全能の神様、主よ。ねたみを捨てて、喜んで仕え与えるように。誠実を身につけ、へりくだって善を行うように。そして、地の塩、世の光となるのを助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン。

 2003年7月2日更新

 

先頭へ

戻る