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「主の再臨と備え。時は近づいた」

- 2003年7月6日-


クラレンス・ワーグナー師

  私たちは今まさに感動的な時代に生きています。イエス様が、もう間もなくいらっしゃることがわかっている方はどの位いらっしゃいますか?私たちが生きているこの時代は、今までのどんな時代よりも、多くの預言が成就しています。今この時代のために神様は何を言われているのでしょうか。終わりの時代は、悪しきものがこの世を治め、より行いが悪くなります。世の中のことだけに目を向けるならば失望してしまいます。しかしイエス様に目を向ける時、希望があたえられます。この世の生き方は、神に対して反抗的で、生きてきた過去の罪責感を引きずり、袋小路に入ってしまったような、神様から離れた生き方です。パウロは罪の報酬は死だといっていますが、死の意味は、全く神様から離れてしまった状態であるということです。そばに神様はおられません。どのようにしたら私達は神様に近づくことができるのでしょうか。

  神様は私たちを罪から贖い、救うために神ご自身で救いの計画を成就されました。旧約の時代は罪を犯した場合、その贖いのための犠牲が祭壇にささげられる必要がありました。その上、犠牲となる動物は良いものが選ばれる必要がありました。私たちの罪のためには、聖い神の心を満たすために、神ご自身の一人子イエス・キリストが贖いの子羊として十字架にかかってくださったのです。それでただ、イエス・キリストが神の一人子として信じるならば、私達の罪の代価が支払われるのです。神が私たちを愛してくださっていたので、神様の願いを、神様ご自身で果たしてくださいました。神様が私たちと交わることを望んで私たちをお創りになられたからです。エデンの園ではいつも神様は人と交わりを持ってました。皆さま方がお互いに交わりを持つのと同様に、人と交わりを持ちたいと願い、罪によって離れた私達の代価を神ご自身が支払ってくださいました。ですから今、私たちは神ご自身と再び親しい交わりを持つことができます。

  聖書の神様は、イスラエルの神様です。神様はイスラエルの民を通して異邦人を救われました。また、地図をみるとわかりやすいですが、イスラエルはアジアやアフリカ、ヨーロッパの中継地点です。神は、この場所で福音がはじまったのならば、世界中に福音がのべ伝えられることをよくご存知でした。神はこの地を特別に扱われました。またイスラエルの民は神の言葉を書き残し、メシアを生み出す管となり、器となるため神様に特別に選ばれた民でした。ですから、イスラエルに対し神様はこのように語っておられます。

●創世記12:3「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

●詩編122:6-9『 エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。』

  サタンは神の言葉を良く知っています。悪しき時代を治める君は、終わりの時代にイスラエルの民の目が開かれ、イエス・キリストが神だと信じるようになる時、サタンは底知れぬところに封印されます。ですから、神に選ばれたイスラエルの民をサタンは神様から引き離そうと必至に攻撃し、なんとか滅ぼそうとします。イスラエルの民も私達と同じように過ちを犯し、失敗を
繰り返しますが、神の憐れみは尽きることがありません。神に逆らい、捕囚の民となりましたが、解放され、今、国が建てあげられています。世界中に散ったユダヤ人が今イスラエルへと帰ってきています。

●申命記30:1- 5「私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あ
なたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。 たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。あなたの神、主は、あなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。主は、あなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。」

  イエス・キリストは、神様が私たちにくださった最高の贈り物です。皆様は、もし何か贈り物をいただいたら、どうしますか?もらったときはとてもうれしいでしょう。しかし、今度は、それをあけて使うときに本当の喜びがきます。私たちは、その贈り物を神様に対して、また人に対して、使う責任があるのです。もし、良いものを相続したいと望むならば、神を愛し、その教えのうちを歩み、戒めを守ることです。聖書の教えはすべて、神を愛し、人を愛することを教えています。

●ローマ12:1-2「 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

  私達が自分の心を神にあわせていくならば、私達は神の栄光をあらわす事のできる器とされます。

●ヤコブ4:7-8「 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」

  私達が神に近づくならば、神が私達に近づいてくださいます。聖書は私達を神に近づくように導くガイドブックの様なものです。私達をお創りになられた神様からの説明書のようなものです。私達も神に属する者ならば、神の説明書である、聖書にそった生き方をするとき、正しく私たちはその道を歩むことができるので、私達は神に愛された教会に対しても責任があります。例えばキャンプファイアーの日はずっと燃えつづけることができますが、その組み木を一本抜いて、ほっておくとたちまち火が消えてしまいます。そのように、私達も聖霊の火を消さないように、共に集まって礼拝することを決してやめてはいけません。そして、隣人を愛し、必要を満たしていく責任があります。神に対する責任を果たそうとする人は、イスラエルのことも決して忘れてはいません。イスラエルの神は私達異邦人を信仰によって、アブラハムの子孫とされました。私達はユダヤの救いに接ぎ木されたものです。接ぎ木された枝が幹に対して威張ることはできません。

●ルカ21::24-28 「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」

  実に1900年以上もユダヤ人はエルサレムに足を踏み入れることはできませんでしたが、1967年、ユダヤ人はエルサレムに入ることをゆるされました。この御言葉からもわかるように、もう、まもなく、イエス・キリストが来られます。今、この時代に神は働いておられます。婚礼の時、賢い乙女は火を灯す油を絶やしませんでした。みなさんも、主が来られる準備はできておられますか。主が再臨されたとき、喜んで主をお迎えすることができるよう、備えていきましょう。 

 2003年7月13日更新

 

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