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「健全なクリスチャン生活U」 


- 2003年8月3日 -

水野牧師

詩篇37:4〜9

  聖書を理解するときに、聖書で理解していくことは大事なことです。たとえば、今日の聖書箇所は、ダビデがどのくらいの年代の時に書いたものかというと、詩篇37:25に「私が若かったときも、また年老いた今も、正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない。」とあるので、ダビデが年老いた時に書かれてたものだとわかります。健全なクリスチャン生活についても、聖書から理解していきましょう。

  7月に、私たち(水野牧師夫妻)はカナダにしばらく滞在していましたが、その時釣りをする機会に恵まれました。とても楽しいひと時でした。特に家内は釣りに夢中になりました。なぜでしょうか。それは釣れたからです。(笑)伝道も似ていますね。箴言13:12に「期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。」と、願いがかなうことで励まされます。夢や願いがかなうことは私たちにやる気を起こさせます。釣りをしていても私(水野牧師)は全く釣れませんでした。同様に、同じ事をしてもそれを楽しめる人とそうでない人がいます。それは成果が伴うかどうかにもよります。クリスチャンとしての望みがかなうための生活とはどういった生活でしょうか。

  詩篇37:1に、「悪を行うものに対して腹を立てるな。」とあります。怒りをもち続けたままでいるならば、その方は心の中に地雷を埋め込んだままにしているのと同じだと思います。エペソ4:26に、「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」と、怒ること自体は否定されていませんが、それを一晩中持ち続けていることに対しては悪だといっています。聖霊様の働きを阻むものに、赦せない心があるからです。

  ゼパニア3:17では、「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。」とあります。主はあなたが何か出来るからでもなく、何かしたからでもなく、ただあなたの存在を喜んでくださっています。それは、神がそのひとり子イエス・キリストを私たちの罪のために十字架にかけられたほどに世を愛されたことからもわかります。ですからそれゆえ、マタイ3:17「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」この言葉のように今もこれからも主は私たちを愛してくださっているのです。

  現代は、悪がはびこり、不正が横行している社会です。そのような中で主イエス様は、私たちに何を期待しておられるのでしょうか。それは、詩篇37:4「主をおのれの喜びとせよ。」です。どんなときでも、どんな状況でも主を喜ぶこと。確かに毎日期待することが起こり、願いがかなうわけではありません。しかし、年老いたダビデが、それまでの様々な人生経験からそれを私たちに勧めています。どんな状況でも主を喜びましょう。

  私たちが罪を認め、イエス・キリストを受け入れ、人々を赦していくならば、聖霊様を尊び主を喜ぶことができます。その時主は私たちの心の願いをかなえて下さいます。詩篇37:4「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」主にあって喜び、神の国と義と平和と聖霊を求めていきましょう。

  職場や生き方において、もしあなたが疎んじられ、喜ばれないような状況にあったとしても、聖霊様の助けによって、あなた方が主を喜ぶならば、みなさんの心の願いに応えてくださいます。主を喜び、主に祈っていきましょう。どんな状況でも、怒りや憤りを捨て、聖霊様の力によって、主を喜びましょう。すべての事柄を主に委ねて信頼していくとき、主は私たちの心の願いをかなえてくださいます。主は我が盾、我が望み、我が喜び。私たちの力です。 

 2003年8月7日更新

 

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