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健全なクリスチャン生活 IV

- 2003年9月7日 -

水野 明廣 師

詩篇40:1-4

  キャロルフォード師が日本の救いのことを覚えて祈ってくださっています。現在、日本のリバイバルのために毎月第一金曜日の正午に、断食祈祷を有志の方々で行っています。どうせ祈るならば1日断食しますという方もいらっしゃるようです。私たちが断食祈祷して祈っていく中で主に叫び求めていくならば、私たちの周り、町、国に何か変化が必ずおこってくるはずです。

  天野弘昌先生は非常に優秀な経歴をお持ちの先生でしたが、イエス・キリストによって救われ、その後現在は主にある強い油注ぎをうけ、力強い聖霊の働きをしておられる先生です。しかしそのような先生でも献身したときは牧会や教会のいろんなことがうまくいきませんでした。ある時、牧会者の集まりの中で、非常に惨めな気持ちになっていました。まわりが賛美に沸けば、素直に心から賛美できない自分がいて、より惨めな気持ちになりました。その時、断食祈祷への参加の呼びかけがあり、あまりしたくなかったのに、なぜか手をあげていました。手を挙げた以上、しょうがないので、決められた日に断食をし、祈り始めました。そのとき先生は聖霊のお取り扱いを受けたそうです。次の日曜礼拝で、信徒の前で告白しました。自分の罪を赦して欲しい、悔い改めなければいけないのは牧師の私であると。その悔い改めを聞いた牧師婦人が立ち上がり、言いました。「いいえ、悔い改めなければいけないのは私のほうです。」そしてその悔い改めは信徒にも及び、その日見たこともないような奇跡があらわれました。その日出席されていた方で病の中にいた方は、すべての病が完全に癒されたそうです。主に切に祈り、主に向いていくならば主は応えてくださいます。

  祈りの人ジョージ・ミュラーは「待ち望むことがクリスチャンの最大の課題だ」と言われました。
待ち望むことは深い信頼と関係があります。また信頼することは愛しているからできます。そして、愛する人を私たちは信頼します。忠犬ハチ公でさえ、愛する主人が病気で亡くなっても、いつか愛する主人がいつものように自分を可愛がってくれることを信じ、来る日も来る日も帰ってくるはずのない主人を駅で待ちました。このように待ち望むということはその人を信頼し、愛しているということでもあるのです。

●第一コリント2:9 『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」』

  パウロはイザヤ書から引用して語っています。しかしイザヤ書にはこうあります。

●イザヤ64:4 「神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。」

  これはパウロが引用を間違えたわけでは決してありません。待つことは愛することであり、愛しているならば待つことができます。
  主を待ち望むときに大事なポイントが2つあります。1つ目は切なる思いで、ということと、2つ目は高ぶりや偽りを拒否するということです。主がもっとも嫌われるのは高慢と二心です。

●ホセア10:2 「彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。」

  またエゼキエル8章5-16には神ではなく偶像を拝む人々に対する激しい主の憤りが語られています。主は、ただ私たちにひたむきに主を求め、心向けてていくことを願っておられます。待ち望むものに対する報いはどのようなものでしょうか。

●詩篇25:3「まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。」
●イザヤ40:31「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

  ヨハネ5章にも30年間自分の病の癒しのために、ベテスダの池のそばで生活をしている足なえに主は言われています。「よくなりたいか?」病人は30年という時の中で、まっすぐに主に向いてひたむきに「はい、よくなりたいです。」ということができなくなっていました。しかし主はもう一度その願いを足なえの心に新たにするために聞きました。「よくなりたいか?」そして癒されました。
待ち望むことは困難なように思えることもあります。主に切に祈り求め、ただ主に向いていくとき、自分自身の心が試されます。高ぶりや偽りをそぎ落とされ、自分自身が何を本当に期待し望んでいるのかがわかるようになります。そのとき、見たこと、聞いたことのないものを私たちに備えてくださり、いっさいのことを益に変えてくださいます。

●詩篇40:1〜4「切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。」


 

 2003年9月10日更新

 

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