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見よ。あなたがたの神を

- 2003年11月9日 -

 大矢 頭 師

イザヤ 40:1-11

 イスラエルは、神の祝福を受け継いで行くようにと選ばれた民でした。しかし、現状は敵に攻められ、国は荒地となり、民は外国に捕囚となって連れて行かれ、彼らは嘆きと苦しみの中にありました。ある人たちは、このような苦しみの中で自分たちの間違いに気づきます。神様から離れて、他の神々に頼ったり、自分の力に頼って、自分の仕事を一生懸命やることによって幸福や繁栄を得ようとしていたことが、間違っていたのだと気づきます。
  彼らは神様に戻ってもう一度やり直したいと願います。神様はこのような願いを持つ人々を決して見捨てられません。「慰めよ。慰めよ。私の民を。」と優しく語りかけられます。苦しみは苦しみで終るのではありません。神様は慰めて、立ち直らせて二倍のものを与えてくださいます。“二倍のもの”とは、本来私たちが相続すべきものという意味です。すなわち、神の祝福を受け取りなさいということです(参考 イザヤ 40:1-2)。

  神様は人間を創造した初めの時に、祝福して、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。・・・支配せよ。」と言われました。しかし、人間は罪によって呪い、病、死に支配されて生きるようになってしまいました。私たちは神の祝福なしに、問題に勝利することも幸福な人生もありえません。人間の力には限界があります。一時はうまくいっている様でも長続きはしません。神様は私たちが神ご自身から祝福を受け取り、それを家族や子孫や周りの人々に分かち合って、受け継いでいくように計画されました。私たちは神様との関係なくして、人として幸いな生き方をすることが絶対にできません。それは私たちの存在の意味が神様にあるからです。私たちが存在する理由は神が存在され、神様が私たちを目的を持って創造されたからです。このことをはっきり知らなければ、私たちは自分自身で生きる意味を見出さなければなりません。結果、人生の目的、自分の存在の意味を見出すことができずに、自殺してしまう人が多くいるのです。イエス様は、神様と私たちの壊れた関係を回復してくださいました。私たちが受けるべき罪の裁きを背負って十字架で死んでくださり、すべてに勝利して復活されました。このよい知らせ(福音)が私たちに伝えられています (参考 イザヤ 40:9、ゼカリヤ 9:11-12)。

「見よ。あなたがたの神を。」見よ。神である主は力をもってこられ、その御腕で統べ治める。(イザヤ 40:9-10)。神様は私たちと無関係に存在しておられる方ではありません。私たち一人ひとりと関係を持ってくださり、私たちのために敵と戦ってくださる方です。私たちは、もはや敗北の人生を歩む必要はありません。神である主が、私たちとともにおられ、私たちに、支配されるのではなく、支配しなさいといわれたからです。
  今がチャンスです!神様はいつも“今”と言われます。一日たりとも悩んでいてほしくないのです。チャンスを後回しにしないでください。明日のことはわかりません。「今、戻ります。」と決心してください。神様と私たちの関係が正しくなるとき、私たちの存在の意味もはっきりしてきます。自分はなんだろうと考える前に、神様がどのようなお方であるかを知っていくとき、自分の事も解ってくるのです。祝福の神様が私たちの神様です。祝福の神がおられるので私たちは祝福されるのです。本来、私たちが受け継ぐべき祝福を生きていくこと、これは神様の願いです。


 

 2003年11月11日更新

 

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