トップページへ神の家族キリスト教会

 

心配事や悩みを主に委ねきって行く人

- 2003年12月14日 -

 水野 明廣 師

詩篇 5:22

あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇 55:22)

  この歌はダビデが同輩や親友にまでも裏切られ、激しい苦悩の中で語った預言的な言葉です。ダビデが通らされた試練は、今の私たちに色々な教訓を与えてくれます。私たちは自分の能力・働き・地位など誇りますが、そのような人間的な強さや成功の中で、神様との本当の出会いを経験する人はいないようです。
  パウロは自分の弱さを誇ると言っていています。私たちが人間的な誇りを全て失って、自分が弱くなった時、主が現れてくださいます。人間である以上、悩み、心配はあります。しかしそれを持ち続けることは良くありません。健康にも悪影響を及ぼします。イエス様は「明日のための心配は無用です。」(参考マタイ6:34)と言っておられます。イエス様が来られた目的の一つは、私たちが平安を取り戻すことです。主は復活の朝、弟子達に向かって「平安があなた方にあるように。」と言われました。(参考ヨハネ20:21)

●「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)

  気がかりなことは、主に祈って委ねましょう。

 人間学においても、生活や経済の心配をしなくてよいと、人間は独創的・創造的な仕事ができ、すばらしい音楽や芸術的作品が生まれると言われているそうです。思い煩いは、私たちの内の良いものが発揮されるのを妨げます。この世の心遣いや富の惑わしが御言葉をふさぐため、実を結ぶことができないのです。悩みを持ち続け、心配に捕らえられると、悪魔に心を押さえつけられる可能性があります。
 Tペテロ5章7節に「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」と書いてあり、次の8節にはその理由として、「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」と書いてあります。
 心配し続け、それが習慣になってしまうとだんだん開放されるのが難しくなってしまいます。心に神に逆らう強固な砦が築き上げられてしまいます。主の前には問題の大小は関係ありません。どんな些細な、小さな事でも一つ一つ主に祈って委ねて行く生活、これはクリスチャンの特権です。
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
主は決して私たちのことを忘れません。いつも共におられ、決して捨てられません。永遠の愛で私たちを愛して下さっています。どんな時にも主に祈り、賛美していきましょう。
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」(詩篇68:19)


 

 2003年12月18日更新

 

先頭へ

戻る