トップページへ神の家族キリスト教会

 

主に用いられる人の三つの特徴

- 2004年1月11日 -

 水野 明廣 師

詩篇63:4-8

それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。[詩篇63:4-8]

 主は私たちを用いたいと願って、私たちを主の御用のために召されました。今日は詩篇63編の御言葉から主の御用をしていった人の三つ特徴を学びます。

1. 祈りが生活となっている人
ここでの祈りには4つのポイントがあります。
1) 生きている限り祈ります
2) ほめたたえて祈ります
3) 御名によって祈ります
4) 両手を上げて祈ります
ダビデは「生きている限り祈る。また、祈りは私の命。」と言っています。(参考 詩篇42:8)サムエルは「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。・・・」[I サムエル 12:23] と言いました。この様に、主に用いられた人は、必ず祈る人でした。祈りが、その人の生活、生き方そのものとなっていました。祈る時は、主を褒め称え、感謝しながら祈りましょう。主は、私たちが主を褒め称え、感謝を持って祈る祈りを喜ばれます。また、イエス・キリストの御名によって祈ることも大切です。イエス・キリストの御名に権威があります。主の御名によって祈った祈りは、イエス様が保証して下さるからです。
「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」[I テモテ 2:8]私たちが両手を上げて祈るということは、「主に頼ります」、「私はあなたに依存しています」、「降参します」、「抵抗しません」、という表現です。もしも、私たちが祈らないのに祝福され、主に大きく用いられたとしたら、高慢になって主から離れてしまうでしょう。「主がして下さった。」と心から言える人は幸いです。いつも主に頼り、祈る人はすべての栄光を主に帰します。

2.喜びの賛美ができる人
主はイスラエルの賛美を住まいとしておられます。(参考 詩篇 22:3)私たちが賛美するところに主の臨在が来ます。ダビデはどんなときにも主を賛美しました。彼は苦しみの中でも主を待ち望んで、いよいよ切に主を賛美しました。(参考 詩篇 71:14)ヤコブは以前ルズであった町の名をベテルと呼びました。(参考 創世記 28:19)“ルズ”とは思い通りにいかない、苦しい状況を意味する言葉です。しかしそこが実は“ベテル”、すなわち「神の門」であったのです。ですから苦難の中でも、それでも主を待ち望み、いよいよ主を賛美し続けましょう。

3.いつも主を思っている人
ダビデは床の上でも主に心を向け、主の恵みを思い出し、主のすばらしさを思っていました。イエス・キリストのことをいつも思っていなさい。(参考 II テモテ 2:8)主は、私たちのことを一瞬たりとも忘れることはありません。今も、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(参考 ローマ 8:34)私たちの大祭司であるイエスのことを考えなさい。(参考 ヘブル 3:1)夜眠れない人は、心配しないでイエス様のことをずーっと考えていてください。
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」[ヘブル 7:25]

2004年皆様が、いつも主に祈り、いよいよ主を褒め称え、主を思う生活を続けられて、主の御用のために新しい一歩を踏み出し、更に主に用いられる一年になりますように祈ります。


 

 2004年1月17日更新

 

先頭へ

戻る