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主の家の喜びを知る。幸せな人

- 2004年1月25日 -

 水野 明廣 師

 

詩篇65:4
「 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」

 主が私たちを選んで引き寄せてくださるということは神様の恵み、特権に与っているのです。日曜礼拝をクリスチャンとして日本で守っている人の数は20万人以下とも言われ、特に聖書信仰に立つ福音派の教会出席者数は更に驚くほど、少ないと言われています。日曜日に私たち自身が教会で礼拝を守っているのも事実ですが、一方で、ヨハネ6:44でイエス様が言われるように 「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」イエス様による復活の命、永遠の命、そのような神の素晴らしい救いの恵みに与る人たち、また、その中で礼拝に来ている人たちは皆、イエス様が、父なる神がその人たちを引き寄せておられるのです。私たちが神に選ばれ、引き寄せられるということはとても素晴らしいことなのです。

●申命記7:6-8
天地万物、無限ともいわれる宇宙を創造された神があなたがたを恋い慕って・・・選ばれた、愛されたから・・・贖われた。

 とあるように、このような偉大な神に私たちは選ばれ、引き寄せてくださったのです。ここで大切な事は、私たちがこの素晴らしい恵みがわかるかどうかということです。エペソ1:16-17で、パウロがエペソのクリスチャンに知恵と啓示の御霊が主から与えられるように絶えず祈っていました。それはこのようになるためでした。

●エペソ1:18-19
あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。あなた方の心の目がはっきり見えるようになって・・・。

 つまり、パウロは、人々の心の目が開かれ、神の偉大さをわかってほしいかったのです。また、預言者ホセアは神の民イスラエルの人々が、素晴らしい神の選びにあってもそれを知る知識がないので、彼らは捕らえられている、みじめであるともいっています。では、いったい私たちは本当にどれほど主の恵みを分っているのでしょうか?!また、人間にとって幸せの原点とは何でしょうか?それは、父なる神の方に引き寄せられること、主の御腕に抱かれていることです。どんな地位、肩書き、健康、そして、「全世界の富を得たとしても命を損じたら何の得になるのでしょう?」と主は言われます。
 また更に、その大いなる神が私たち一人一人の名前を呼んでくださっています。

●イザヤ43:1
 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。

 主の恵みにより、名前を呼ばれ、ひきよせられた私たちのたましいは、うなだれてばかりではいけないのです。

 そして、次に大切な要点となる事は、詩篇65:4の後半、「あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。」でいわれているように、主の大庭、つまり、主のみことばの世界、或いは、恵みの世界、にとどまるということが私たちにとって本当の幸せであり、どれほど重要な事柄であるかということです。残念なことに、様々な理由で主に引き寄せられても、離れていってしまう人がいます。ところが、ヨハネ8:31-32で、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」とイエス様は言われます。

 御言葉にとどまるということは、主が、永遠の愛をもって私たちを愛してくださった。あなたは高価で尊い。と言われれば、そのことを自分で受け止めること。主が、仕えられるより仕える人が偉大である。と言われれば、自分は仕えることを選ぶことです。
 ヨハネ15章で、イエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。・・・あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」と言われます。イエス様の言われる御言葉の中に生きることは、私たちがイエス様に生きることです。

●ヨハネ17:24
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

 これはイエス様が父なる神に祈った祈りです。私たちクリスチャン生活の中で、問題、試練にあうこともあります。しかし、それでも主から離れないで、イエス様に生き、御言葉とどまるなら、私たちは主の栄光をみることができ、主の家の良い物で満ち足りるのです。なんと幸いなことでしょう。ですから私たちは主の家を自分の住まいとし、主の御言葉にとどまる決心を聖霊様の助けによってすることができますように。忙しい日常の中でも私たちを引き寄せてくださっている主の方に心の目を向け、主の鼓動、あたたかさを感じることができますように。


 

 2004年1月31日更新

 

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