トップページへ神の家族キリスト教会

 

「主が立ち上がられる」

- 2004年2月8日 -

 水野 明廣 師

 

詩篇68編1節〜2節
神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。[詩篇68:1−2]

 主が立ち上がられるなら、私たちの前から、全ての神に敵対するもの、悪しき者は散らされてしまいます。イエス様の前からは、悪魔はことごとく追い出されていきました。イエス様がおられるところでは、悪魔は勢力を発揮することができません。そこに、すでに神の国が来ているのです。
 イエス様は「御国が来ますように。」と祈るように教えられました。まず、「私の心に、私の生活に家庭に職場に、神の国が来るように。」と祈ってください。「私の心、思い、言葉を主が治めて下さいますように。」これは、主が立ち上がってくださるために必要な祈りです。私たちが「悪魔よ去れ。」と祈ることも必要ですが、主が立ち上がられたなら、悪魔は去るしかないのです。神の国では、悪魔は何の影響力もありません。病もあらゆるわずらいも神に敵対するもの全てが追い払われるのです。

 どの様な時に主は立ち上がってくださるのでしょうか。

@私たちが主との深い愛の関係にあるとき
 主は私たちを恋い慕って、私たちとの愛の交わりを求めておられます。イエス様はペテロに「あなたは私を愛しますか。」と三度も尋ねられました。主が最も願っておられるのは誰よりも何よりも御自分を愛してくれるパートナーです。アブラハムは最愛の一人子イサクよりも神を愛しました。だから主はアブラハムとともにおられ、それが周りの人々にも明らかに解るほどでした。

●私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。[雅歌7:10]

 この様な愛の関係の中にある時、主は立ち上がってくださいます。

A私達が互いに愛しあってる時

●いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。[Tヨハネ4:12]

 このみ言葉は、私達が愛し合う所に神の臨在が現れ、主が立ち上がって下さるという意味です。イエス様は、

●わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。[ヨハネ15:12]

と言われました。他人の悪口、中傷は絶対やめましょう。

B肉が静まるとき

●すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。[ゼカリヤ2:13]

 肉が静まるとは、自分自身が十字架に付けられているということです。私たちには生きている限り問題があります。肉体的、経済的、家族の問題など、それぞれが自分の十字架を負って生きています。私は自分の弱さを誇ると心から言える人。(参考 Uコリント11:31)たましいが砕かれている人。(参考 詩篇51:17、イザヤ57:15)に主は立ち上がってくださいます。真に謙遜な人、へりくだった人に悪魔は働くことができません。他の人を見下げたり、批判したりすることがないよう、自らへりくだりを選ぶようにしましょう。
 教会で牧師や活動が立っているのではなく、まさに主が立ち上がってくださることを心から願います。

2004.2.8
 

 2004年2月14日更新

 

先頭へ

戻る