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「キリストの内にある豊かさ」

- 2004年3月7日 -

デール・ウォーカー牧師
 


ピリピ4:4,6,7,11-13

 今の世の中は不平不満で満ちています。クリスチャンのみなさんの周りでも、不平不満の人ばかりが集まってしまうことがあります。何かに不満を言う人は、職場や人間関係についても、また自分自身についても不満を漏らします。今はそういった不平不満や否定的な霊で満ちた世になっています。知らないうちに私たちの内側にもこの思いは少しずつ入り込んできます。
 不満の三姉妹というのをご存知でしょうか。不満は三つの要素からできています。“つぶやき”“自己憐憫”、そして“感謝することがない心”。そのような状況に身を任せていると、徐々に慣れて行き、それでもいいと思い出してしまうのです。そして、新しい物を得た時、何か新しい人との出会いがある時だけ幸せを感じるという思いにさせられます。でも物を得ても本当の満足は得ることはできません。
 不満というのは現代の新しい問題ではありません。モーセが民を連れてエジプトから出たとき、後方はエジプトからの追手、前方は紅海という、絶対絶命の状況に陥りましたが、神の奇跡により救われました。その時イスラエルの民は皆喜びの声を上げました。

●出エジプト15:20-21
『アロンの姉、女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た。ミリヤムは人々に答えて歌った。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」』

 しかし、そのわずか三日の後に民はつぶやき始めます。『民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。』(出エジプト15:24)しかし主はそのつぶやきを聞かれて水を与えてくださいました。またしばらくすると、今度は全部の民がつぶやき始めました。 『そのとき、イスラエル人の全会衆は、この荒野でモーセとアロンにつぶやいた。イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」』(出エジプト16:2-3)この時も主はこのつぶやきをお聞きになり、マナをふらせてくださるようになりました。不満の声は、私たちの内側から喜びを奪っていきます。そして、誰かが不満を漏らすならばそれは瞬く間に広がって行きます。そして、この不満の声によって、神は天の祝福の窓を閉じてしまわれます。

 初めて私(デール牧師)が神学校を卒業した時、さあこれから神の御用をするために素晴らしい説教とミニストリーをしよう、と、私(デール牧師)の心は燃えていました。しかし、私の働くことのできる教会はその時どこにもありませんでした。そのため、朝から晩まで激しい肉体労働をする工場で仕事をすることになりました。あまりにも大変で、徐々に肉体的にも霊的にもやせ衰えてきたように感じはじめました。そして、神様に直接不満を言い始めました。神様が天の祝福の窓を閉じられたように感じました。しばらくして、主が私に語られているのを感じました。「手を見なさい。それは誰の物ですか。」私は言いました。「主よ、私はすべてをあなたにお捧げしましたので、この手はあなたのものです。」また主は私に語られました。「足を見なさい。それは誰のものですか。」私は言いました。「主よ、私はすべてをあなたにお捧げしましたので、この足もあなたのものです。」それから主は言われました。「では、私があなたにこの工場で働くことを望んだら、あなたはそれを喜んで行うのではないですか。」その時、私は悟りました。「はい主よ、あなたの言うとおりです。申し訳ありませんでした。私はすべてをあなたに捧げました。感謝します。」と告白したとたん、私の内側から喜びが湧き上がりました。その時に私は、喜びは外側からは来ない、内側から湧き上がってくるものだとわかりました。
 パウロは環境によらずに喜びで満たされる方法を知っていました。それはキリストの内にある豊かさを知ることです。キリストにあって、あなたが何者であるかを知ることです。

●ピリピ4:4,6,7,11-13
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」

 主を喜びとする人には、主がその魂を本物の喜びで満たして下さいます。まさにこれは、私たちを愛し、十字架で罪の代価を支払ってくださったイエス・キリストを通して来るものです。これが私達の本当に欲しいものです。ジョン・パイパーという人は言いました。「私たちの欲求が大きすぎるのではありません。あまりにも私たちが小さな欲求で満たされようとしていることが哀れなのです。」神は二度と渇くことのない水を私たちに与えてくださっています。神の御座から流れる臨在でもっともっと私たちが満たされますように。
2004.3.7

 2004年3月12日更新

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