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「讃美の力を知っている」II

- 2004年3月21日 -

水野 明廣 師

詩篇 81:1−5

 私は以前、ジャック・ヘイフォード師の通訳を務めたことがありましたが、その時私は、さまざまな問題を抱えて、とても辛い状況の中にいました。その時、聖会の壇上で、ヘイフォード師は突然、イザヤ書54:1から「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え!産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ!!」と叫ばれたのです。私はヘイフォード師の横で、喜びの叫びどころじゃないんだけれど・・・と一人沈んでいました。が、直後に主が私に語られました「これはあなたに対する主の言葉だ。」一瞬にして私は御言葉の奥義に目を開かれました。そして、その日を境に、どんなに苦しい状況の中でも主をほめたたえようと誓って今日に至っています。
 私たちはまだまだ、主への賛美がどんなに大切か知り尽くしていない、といっても過言ではありません。

●「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル13:15)

 いけにえ、ということは、何らかの犠牲を伴うことを意味します。そして、讃美は、私たちの幸せのために主が定められた掟でもあります。

●「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」(詩篇50:14)

 掟には従順が要求されます。とても賛美などできない状況、何をしてもうまくいかない、暗闇、孤独・・・そのような時でも、いいえ、そのような時だからこそ、主に向かって讃美の歌声をあげるのです。あのパウロとシラスを思い出しましょう。

●「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」(使徒16:25〜26)

●「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」(詩篇22:3)

 讃美は主の御臨在をお迎えし、主の御力を解き放つのです。

●「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。」(詩篇81:6〜7)

 あのダビデの生涯の一番の特徴は、彼がいつも夢中になって主をほめたたえていた事でしょう。

●「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(詩篇34:1)

 しかし、そのダビデがとても重い罪ーバテ・シェバとの姦淫よりも重大な罪ーを犯してしまいます。

●「王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」(2サムエル24:2)

 人馬の数、即ち自分の権勢を誇ろうと、おごり高ぶったのです。

●「再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。」(2サムエル24:1)

 主は疫病でイスラエルを打たれました。悔い改めたダビデは自ら犠牲を払って主を礼拝します。

●「ダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。」(2サムエル24:24〜25)

●「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。」(詩篇81:6〜7)

 私たちの讃美に応えて、主は御手を伸ばして下さいます。それだけではありません。主が自ら、私たちの讃美を備えていて下さるのです。

●「シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。」(イザヤ61:3)

●「あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。」(詩篇81:9)

 しかし、主に捧げる讃美と礼拝が、自分勝手で、よこしまなものであってはなりません。かつてサウル王がこの罪を犯し、主の怒りを招きました。

●「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(1サムエル15:23)

 私たちの心に不従順、即ち偶像礼拝の罪がないか、今一度自分を吟味しましょう。

●「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」(詩篇81:10)

 イエス様もおっしゃいました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」讃美が満ち溢れている時、私たちは主にもっと求めて良いのです。もっと讃美に練達しましょう。美しいハーモニーのただ中で、ダビデのように力の限り歌い踊って主を喜びましょう。

●「しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。「わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。」(詩篇81:16)

 「蜜」は最上のものが与えられるしるしです。私たちの讃美が、讃美に満ち溢れた天の窓を開くような日々の歩みでありますように。

 主イエス様、私たちのくちびるに、いつもいつも讃美が溢れ流れているように、毎日もっとあなたに向かって、あなたが喜ばれる讃美をお捧げできるように、聖霊様、特別に助けて下さい。御名によって祈り願います。アーメン。
 

 2004年3月24日更新

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