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「恵みから恵みへと」

- 2004年3月28日 -

 禹 浩鉉 師

マタイ20:1〜20



マタイ20:1〜20 「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。・・・ このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」

 同じような内容がマタイ19:30 「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」とあります。

 朝から来た人も12時から来た人も3時から来た人も、5時から来た人も同じ一デナリずつもらえるのはおかしいよ・・・と思う人はその通りです。人間的に考えれば当然あり得ないです。でも何らかの事情があって朝から来れなかった人もいました。でも、働きたい!そんな思いで出てきたかもしれません。常識と違うわけです。
 私たちがそういう人たちに対する神の哀れみを理解できればと思います。なぜなら、この主人つまり神様は5時に出てきた人から支払いました。普通は順番です。朝早く来た人から順番に支払います。なぜ、5時から来た人から支払われたのか。実は5時から来た人が一番不安な状況、心境なのです。皆さん、よく考えてください。本当に貰えるのだろうか。朝から来た人は貰って当然と思っています。絶対確信を持っています。5時から来た人は貰えるのか一番不安定なのです。一日中不安の中で過ごしました。雇って下さる所はあるのだろうか。仕事をしていても本当に貰えるのだろうかと不安で仕事をしています。この5時、3時、12時の人たちは弱い人たちです。本当に朝から来た人が彼らをねたんだのはとても残念です。一時間しか働いていなかったけど良かったねとどうしていっしょに喜んで上げれなかったのかと感じますが、その状況にいますとなかなかそうなれないかもしれません。でも一日中働いた人たちは充実した一日を過ごしたと思います。朝から雇ってもらえてのですから、約束されているのです。
 また、残念ですが人間はこう思ってしまいます。約束した以上のもの、犠牲にした以上のものを受け取りたいという心があります。実は弟子たちにもありました。マタイ19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」どうしたら祝福されるか、どうしたら報われるかと弟子たちは思ったのです。本当に神様の哀れみ深さを私たちは深く感じ取りましょう。雇い主は

●マタイ20:14「 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」
●マタイ20:15 「自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』私たちは犠牲に応じて貰おうと考えます。」

 私たちは大胆にまずは祈りましょう。この祈りは「神様に聞かれないと諦めない」で大胆にまずは祈ることです。神様の前で謙って神様を求めて自ら弱いものだと思う人が、神にあっては先に与えられることがあるのです。決してベストを尽くしている人がおろそかにされることではありません。そして、ベストを尽くすと言う事は休まないと言うことではありません。

●Uコリント12:9 主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」

 弱さを通して主の前に謙ってでることです。謙ると言う事は恵みを感謝することです。私たちも熱心さで祈りが聞かれると勘違いします。決してそうではありません。哀れみ深い神様が愛を持って聞いて下さるのです。受けた祝福を蔑ろにしない感謝して受け取ることです。朝早く来た人が主人の前で感謝をしたら本当に良かったと思います。神様が私たちに愛を持ってして下さること感謝しましょう。大胆に祈ってその恵みを味わうことが出来ますように。

 主よ。今、私たちに神様から与えられている恵みを感謝できるよう助けて下さい。問題や困難はあるかもしれません。けれど私たちは多くの物を与えられているのも事実です。そのことを感謝し、ますます豊かに知ることが出来ますように助けて下さい。そして私たちの唇から感謝と賛美がいつも出ますように。妬みの心を持っていつもそれに振り回されることのないように守ってください。また、信仰の歩みが出来ますように、イエス様の御名によってお祈りします。アーメン
 

 2004年3月31日更新

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