トップページへ神の家族キリスト教会

 

「キリストの苦しみがわかるとき」

- 2004年5月23日 -

水野明廣 牧師

詩篇88:1-18

 詩篇の多くの篇では信仰の素晴らしさが必ず書かれていますが、88篇では悲しみと苦しみのみ書かれています。これはキリストが十字架にかかるまでのキリストの苦しみと悲しみだとも言われています。キリストの心をかいま見ることができるという説もあります。

●イザヤ53:7 「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」

イエス様はほふり場で沈黙したのです。

●ローマ5:9「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」

 神の怒りの裁きが何よりも一番恐ろしい事で、人があなたの命をとったとしても、それは神のみ怒りに比べれば大した事はありません。神の御怒りが最も恐ろしいことです。黙示録には、怒りの裁きの座が出てきますが、神の怒りに会わないことが最も素晴らしいことです。

 悩みに満ち、地獄の一歩手前の様な事をイエス様は経験されました。カヤパの庭でキリストがとても狭い部屋で閉じ込められていた岩に、今なお血の跡が残っています。あまりにもひどい苦しみとありとあらゆる苦しみを体験したので、キリストが分らない苦しみはありません。

●ヘブル2:18「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」

 水も飲めない、上も向けないというどん底でこれ以上の苦しみはないという状況まで落ちましたが、神様はイエス様をお見捨てにはなりませんでした。

●ヘブル4:15「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」

●ヘブル10:19「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」

 キリストが血を、命を流されたのは苦しみの極みです。ですから、こんなにも私たちを愛してくださった主なる神を、私たちも自由に子供のようにお父さんと呼びましょう。

●ヘブル9:14「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

 神の栄光を現すため、それぞれの立場、持ち場で生ける神に仕える者となって下さい。永遠に神から離れてしまうことはもっとも恐ろしい事です。十字架のゆえに苦しい事があったら十字架を思い出しましょう。あらゆる苦しみに会われたのは私たちを神の恵みの下に生きて欲しいからです。もっとキリストの恵みに目覚めて聖霊様によって強くなっていただきたいです。生涯神に仕える者となって欲しいです。

 愛して下さるイエス様、私が悩む事をご存知です。悩みに満ちて苦しみに満ちておられたイエス様、私のことを知っていてくださり、ありがとうございます。人々が憤り、人々が怒りを私に向ける事もあります。イエス様が恐ろしい憤り怒りを一身に受けられて、神の怒りをも受けられました。主よ、私の上にあなたの恵みがあなたの祝福が望んできています。聖霊様、助けて下さい。
 もっと主に仕えて、私の立場で主に仕える事が出来、神に仕える事が出来ますように、あなたの願っていらっしゃる光の子として、恵みの光を、主の香りを回りに放つ事ができますように、聖霊様、助けて下さい。イエス様の御名によってお願いします。アーメン

 2004年5月27日更新

先頭へ

戻る