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「キリストの愛の心」

- 2004年6月6日 -

村仲俊朗 牧師

ピリピ1:3-11

 ピリピ1:3-11でパウロが語っている「あなたがた」は、現在ヨーロッパで最初に教会を初めた人々といわれています。彼らはパウロが投獄された時も祈りで支えただけでなく、具体的な援助をして支えていました。

●ピリピ1:7「あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。」

 このように彼らの間には福音のために共に働く、といったパートナーシップがあり、キリストの愛の心を持った交わりがありました。

 パウロは3回の鞭打ちを受け、投獄された経験もありました。投獄中は鎖につながれていましたが、鎖につながれながら、神を賛美していました。その時に地震があり、パウロたちの鎖が解かれました。看守はパウロたちが逃げ出してしまったと思い、自ら命を絶とうとしました。しかし、パウロはそこから逃げだすことはしていませんでした。看守はそのような出来事やパウロを通して、直接神を知り、恐れ、キリストの愛の心を知りました。

●使途16:33「看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。」

 もともと人間の心はどのような性質を持っているのでしょうか。生まれた時のままの心で、人を真の意味で愛することができるのでしょうか。エレミヤ17:9には「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」このように書かれています。ではどのように私たちはまことの愛を知り、愛することができるのでしょう。

●イザヤ53:5「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」

 私たちの罪のために十字架に架かられたイエス・キリストの救いを受け入れることで、私たちは本当の愛を知ることができるのです。

●ピリピ1:9-10「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」

 とありますが、愛がいよいよ豊かにされる真の知識とあらゆる識別力とはどのようなものでしょうか。

●コロサイ1:9「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。」

 神の御心にそった、愛を増し加える真の知識とはどのようなものでしょうか。私(村仲牧師)は昔2匹の犬を飼っていました。そして、とても可愛がっておりました。ある日、一匹の犬に自分のキャラメルを半分に割ってあげると、しっぽをちぎれんばかりに振って喜びました。そして私の周りを喜んでぐるぐると回りました。そんなに喜ぶならと、私は次の日キャラメル1箱全部をその犬にあげました。しばらくして、犬は犬小屋から出てきません。どうしてかな?と思って見ると、犬はキャラメルが歯と歯の間に挟まって、口を開けることができず、もがいていました。返って犬を苦しめてしまいました。相手が喜ぶものだからと何でもあげることが愛なのではなく、相手にとって本当に良い事柄を知って、それを行うことが真の愛なのです。

●ピリピ1:10「またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく」

 とあります。私たちは神の前に時に訓練される必要があります。それは、キリストの前に立つ日、この御言葉のように純真で非難されるところのないものとして整えあげられるためです。創世記32章にはヤコブの話が出てきます。ヤコブは、「押しのける者」といった意味を持っています。その名の通り、兄エサウの長子の権利を、エサウを押しのけて奪い取りました。しかしヤコブもまた神に愛された人物であり、後に神から直接イスラエルという名を頂きました。それは「神の皇太子」という意味です。そのようになるまでに、ヤコブは様々な経験をします。愛する女性ラケルを妻にするために、伯父のラバンに騙されて実に21年間もラバンのもとで働くことになるなど、なぜこのような人に主は会わせられるでしょうか、という経験をしていきます。そのような中でヤコブは自分自身もまた兄を騙したものであることを悔い改め、打ち砕かれ謙遜なものへと変えられていきました。神が何よりも愛されるのは私たちの内にある砕かれた心です。

 漁業をする人に聞いた話ですが、魚は海から捕獲されて、市場に行くまでに大変な距離を大きく揺られながら運ばれていきます。そのため、市場についた時には魚は、まな板にのせてもぐったりして活きが良くないそうです。そのため、あらかじめタコを魚と一緒に入れておくそうです。タコは魚を捕らえるために足を伸ばします。そうすると魚は捕らえられまいと必死に逃げ回ります。そうすると、市場についた時も生き生きとしているそうです。私たちも時にはなぜ?と思えるような人と関係していかねばならないことを経験することがあります。しかしそれは私たちが整え上げられるために置かれたタコのようなものかもしれませんね。
 また、バラはいい香りがしますが、野生のバラは皆さんがご存知のバラのように素晴らしい香りはないそうです。良い香りがするバラとは、何度も何度も剪定され、接木され、やがて素晴らしい香りを放つバラになるそうです。今は自分自身がなぜ?と思う不合理なことがあってもその意味や神のご計画が後になってわかることがあります。そして何より良いことは、どのような状況でも私たちは神が良いお方であり、すべてを良いことのために備えて下さっていることを知っていることです。

●ロマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 最後にパウロは、ピリピ1:11で「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。」と言っています。義の実とは聖霊が与えてくださる実のことです。

●ガラテヤ5:22-23「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」

 私たちに命をも惜しまずに与えて下さったキリストの愛の心を知り、真実の愛の知識と識別力を御言葉を通して増し加えられ、御霊の実に満たされて、益々キリストの良い香りを放つ者へと変えられていきましょう。

 2004年6月12日更新

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