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「主の役割を果たす人とは・・・その生活は(2)」

- 2004年8月1日 -

水野 明廣 牧師

詩篇103:1-5
 

 実社会の現状では、感謝することは難しいかもしれません。詩篇103:1-2には、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。主の良くしてくださった事というのは人を通してやってきます。しかし、嫌なこと、悲しいことも人を通してやって来てしまうのです。でも、1番問題なのは私たちの内側にあるのです。

 親というのはいつでも子供の幸せを願わずにはいられません。つい先日、3人娘の夫のうち、長女と次女の2人の義理の息子から、示し合わせたように次のように言われました。「お父さん、万が一、僕が事故や何かで死ぬようなことがあれば、子供たちの面倒をお父さんに見て欲しいのです。遺言にもそのように書きましたので、是非お願いします。」自分の親より私のほうが元気であるとか、場所が近いとか理由はありましたが、私も頼りにされることはうれしかったですし、親として自分が死んだ後も子供の幸せを願っていることがよくわかりました。私たちの天のお父様も私たちの幸せをいつも願っておられます。聖書の士師記や申命記には「あなたがたの幸せのために〜」という、神様が私たちの幸せを願って書かれた御言葉がたくさん出てきます。
 しかし私たちの内側は、いつも問題でいっぱいです。お金の問題から始まって、家族のない人は家族のないことが問題だし、家族がいれば家族のことで悩みます。友人がいないといって悩む人もいれば、友人がたくさんいてその関係で悩むこともあります。また、恋人がいないといって悩む人もいますが、恋人がいればいたで、恋人のことで悩むのです。でも、問題の中で最も大きなものは罪の問題です。何百年も前から有名な作家たちもこの罪の問題について本を書いてきました。私たちの罪が神様からの祝福を見えなくしてしまっているのです。

 イエス様は私たちの罪のために十字架に架かられ、呪いからの解放と新しい命を私たちに与えてくださいました。

●TTコリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

●ガラテヤ3:13「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」

 そして、イエス様のゆるしは完全です。ある時わたし(水野牧師)が神に祈っている時、御言葉が与えられました。それはヘブル10:17でした。そして、聖霊様が私にこう語られているように感じました。「わたしはあなたの罪を決して思い出すことをしません。十字架のかげで、私にはあなたの美しいことや良いことしか見えていませんよ。」神様はゆるされてからもあなたは過去にこんな罪を犯した、と責められることはなく、罪を全く思い出さないと言われます。ヘブル10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」その時から私は人をゆるすという重みを知りました。

 人は罪赦されたことを知って初めて主の良くして下さったことを数えることができるのです。しかし、悲しいことに、もし、私たちがはじめに神様から赦されているのだ、ということを知りながら人の罪を赦すことができないのならばその罪は大きいのです。そして罪が神様からの祝福を受け取れなくしてしまうのです。

 あるハンセン病の方の手記を読んだことがあります。その方はハンセン病が10代の前半に発病してから、壮絶な人生を歩まれてきました。ハンセン病が自分の体をむしばんでいくだけではなく、差別、軽蔑、憎しみの中を通らされました。家族からも隔離され、島へ送られました。家族にも会えず、恨みがつもりました。守ってあげるといった母の言葉が仇となりました。裏切られた思いでいっぱいでした。人を恨み、父や母を恨み、神を恨みました。
 しかし島へ送られたあと、あることがきっかけでこの方は死の瀬戸際を通る経験をします。そのことを通してキリストと出会い、気づきました。この私を苦しめたのは、ハンセン病でもなく、父や母でもなく、人でもない、私の内にある人を赦さない心だったと。ずっと自分は被害者だと思っていた、しかし人を赦さない自分が加害者であったのです。キリストにあって人を赦すことを知った時、初めて本当の解放を知りました。と書かれていました。
 マタイ18章にイエス様が話された、王と一万タラントの貸しのあるしもべのたとえ話が出てきます。私たちは先にイエス・キリストの十字架によって罪を赦されています。ですから、私たちも心から人を赦すことを神様は望んでおられます。

●マタイ18:35「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

 主の良くしてくださったことを何一つ忘れないということを知識として知っているだけではなく、私たち自身が神様との良い関係を保つために、私たちの身近な人、重要な人、普段関わりを持つ人との間にゆるしがあることがとても大事なのです。数年前、銃弾に倒れたキング牧師はこのように言っておられました。「ゆるしはいつまでも続く継続的なクリスチャンの務め、クリスチャンの生き方そのもの、そしてイエス・キリストそのものなのです。」まず、私たちの身近な人々の間にイエス・キリストの御名によってゆるしを宣言しましょう。その方達も、私たちを心から愛して下さっている神様が、愛しておられる大事な方に間違いなのです。私たちがゆるしをイエス・キリストの御名のもとに宣言するなら、私たちの罪もゆるされ、神様からの祝福を受け取ることができるのです。そのとき私たちは主の良くして下さったことを忘れず、いつも感謝しながら生きることができるのではないでしょうか。

 2004年8月6日更新

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