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「幸せな人」

- 2004年8月29日 -

水野 明廣 牧師

詩篇112:1-5

 私たちは呪うことをいとも簡単にしてしまいますが、そんな私たちを主なる神様は幸いな者に変えてくださいます。ですから、毎日の生活の中で、また、信仰生活において良い告白を保つことをお勧めします。

 さて、幸いな人は「情け深く、哀れみ深い人」です。イエス様は「哀れみ深い人は幸いです。その人は哀れみを受けるからです。」といわれましたが、私たちが与えたものが私たちに戻ってくるのです。

 私は他のスタッフと共に今年の9月末にアフリカのザンビアに行きます。そこでは、AIDSが蔓延していて、かわいそうな子供たちを助けるために、アメリカに本部を置くハートフォーザワールドがヒーリングハウスを建てて運営しています。それを助けるために私たちも献金を持って実際に訪問するのです。この働きはまさに「哀れみ」の行為です。そして、この働きに多くの方が参加してくださっています。
 イエス様は弱い人にしたことに対して「これらの一人にしたことは、私にしたことです。」といわれました。私たちも哀れみ深い人になりましょう。

 また、「幸いなことよ、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。」・・・・主を恐れるとは、主を怖がることではなく、主の言われたことを率直に受け取って喜ぶ人です。
 私たちがある人を尊敬し、愛すると行動がその人に似てきたり、することが同じようになったりすることがよくあります。もし、私たちがそれほどまでにイエス・キリストを求めるなら、主に似てきますし、その仰せを喜ぶ人になります。

 “仰せ”とは、指図のことです。主が私たちに「行使なさい。」と指示してくださり、その通りに私たちが歩むとき、幸いを味わうことができるのです。また、“仰せ”に従うこと自体が主を愛することのしるしでもあります。

●ルカ7:7 「ただ、お言葉をいただかせてください。」

 ローマの百人隊長は、イエス様に来てくださいとか、触れたいとかではなく、御言葉をくださいとだけお願いしました。「主の仰せは必ずなる!」と信じた人の信仰の現れです。

 私にとって、人生のどん底のとき、主が「不妊の女よ歌え。」と語られたのですが、すぐにはできませんでした。しかし、ある時、決心して「歌おう!何があっても、もう、主に歌おう!」と私は歌い続けてきました。これが私の幸いを得る秘訣です。

 イスラエルの成人式の儀式に“バ・ミツバ”というものがありますが、ミツバは“仰せ”のことです。この儀式は、これからは御言葉に従う人、御言葉を行う人になる、それが大人のしるしでもある、という意味を持っています。私たちも御言葉に生きる人になり、神の子として成長し、大人になって歩みましょう。

 2004年9月3日更新

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